〜アイヌ文化の根幹が残された場所へ〜

「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」から、はじめよう

“大樹の根元の洞(ほら)”をイメージしたという「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」

アイヌの神話では、二風谷を流れるシシムカ(沙流(さる)川)の岸辺にオキクミというカムイが降り立ち、人々に生活道具の作り方や文化を教えたとされる。アイヌ文化の源と言える沙流川の地の博物館には、カムイから授けられた民具の世界が広がっている。
柴田美幸-text 黒瀬ミチオ-photo

二風谷コタンの、チセ(家)の合間の小道を進む。その先に見える、大木の根元のようなかたちの建物が「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」だ。ここには千点以上のアイヌ民具が収蔵されており、種類の多さでも国内最大級のアイヌ民具コレクションを見ることができる。復元された物もあるが、ほとんどが地域で実際に使われていた物であり、100年以上前の明治時代や大正時代と思われる物も少なくない。学芸員補の関根健司さんは、「ありとあらゆる種類の、地域で実際に使われた民具がこんなに見られるところはほかにないでしょう」と言う。

なぜ、膨大な数の民具がここに残されたのだろう。
二風谷に暮らし、言語などアイヌ文化の伝承に力を注ぎ、アイヌ民族初の国会議員となった故・萱野茂(かやの しげる)さんは、アイヌ民具収集の第一人者でもあった。萱野さんは「自分が集めないとアイヌの物が散逸してしまう」という危機感を持ち、昭和20年代から個人で民具の収集を開始。二風谷を中心に集められるだけ集めたという。
二風谷は、明治時代からアイヌ文化の研究が進んでいたところで、華麗な文様の木彫などが和人研究者の目をひいた。しかし、たとえば普段の履物といった、一見なんの変哲もない日用品はあまり注目されず、近代以降のアイヌの生活から失われていく物としてあった。萱野さんは、地域の人からあらゆる物を買い受け、ないものは作り、設立した資料館で展示した。1978年には自身のコレクションをもとに、図版と解説を載せた『アイヌの民具』を出版。アイヌ民具の基準をなす決定版として、今日まで知られている。
その後、萱野さんのおもなコレクションは平取町へ移り、1992年に平取町立二風谷アイヌ文化博物館へ収蔵された。こうした経緯でアイヌ民具を中心とした博物館が誕生したのである。

展示室の入り口。中には「ゴールデンカムイ」にも出てくるアイヌの暮らしの民具が展示されている

展示室は4つのゾーンに分かれている。関根さんに見どころをうかがいながら巡ってみよう。
入り口からすぐが「〈アイヌ〉人々の暮らし」のゾーンで、まさに日常生活で使われていた物がずらりと並ぶ。美しい文様が彫られたマキリ(小刀)やイタ(お盆)をはじめ、アットゥ(樹皮の糸の反物)の織り機、色とりどりの刺繍をほどこした衣服、しゃもじや鍋などさまざまな調理器具に、おしゃぶりなどの育児用品までと幅広い。

「〈アイヌ〉人々の暮らし」のゾーン

復元された「シンタ(ゆりかご)」

メノコイタは、まな板と皿の部分が一体化したもの。鉄鍋は、鎌倉時代には本州からアイヌ文化に入ってきていた

巡っていると、さっそく面白いものを見つけた。細長く切り揃えられた薄い木片が積まれ、資料名には「ホヤイケニ」とある。

チセのミニチュアの前に置かれた「ホヤイケニ」

「それはアイヌ語で『尻を拭くための木』という意味。つまりトイレットペーパーです。イタドリで作られ、チセの入り口に作られていた物置のセというところに置いておき、外にあるトイレへ行く際に持っていきます。アイヌの昔話には、ホヤイケニを持ってトイレへ行ったと思わせておいて浮気しに行く、という話もあるんですよ」と関根さん。
「ストゥケ」というブドウツルの皮で編んだわらじは、アイヌ独特の履物で、大正期くらいまで履いていたとか。こうした物は、確かに残りづらいかもしれない。

ブドウツルの皮で編んだわらじ「ストゥケ」を含む生活用具1121点(うち919点を収蔵)が、国の重要有形民俗文化財に指定されている

次は「〈カムイ〉神々のロマン」のゾーン。祭祀や物語に関する資料が展示されている。なかほどにチセの内部を模したビデオステージがあり、ユカ(英雄叙事詩)などを音声で聞くことができる。

祭祀用具には、和人との関係を示す物が多く見られる。アイヌにとって大切なものを入れていた、漆塗りの脚付き大型容器「シントコ」は、その代表的な物だ。アイヌ民族は、漆塗りの物は作っていないので和人の物を手に入れていた。もともと行器(ほかい)という食べ物を運ぶための容器で、家紋が入れられているが、なぜか複数の異なる家紋が入ったものもある。「違う家紋がたくさん入っているって、普通はありえませんよね。でも、家紋に魅力を感じていたアイヌに売るために、好みに合った物を作る産業が本州で発達していたんだと思います。このようなことも、まだあまり研究されていない部分です」。

「〈カムイ〉神々のロマン」のゾーンではチセの内部を再現。画面右奥、チセの東の隅のイヨイキリ(宝壇)という場所にシントコが並ぶ

カムイへ願いを伝える役目の祭具イクパスイ(捧酒箸。トゥキパスイとも)にも、漆塗りや金箔を貼ったものがあり、コタンに出入りする和人商人が運搬を担い、和人の漆塗り職人が加工していたのでは、と関根さんは推察する。イクパスイや、イタなどにも彫られるラノカ(ウロコ文様)は、沙流川地域(二風谷)ならではの特徴を備えているということだ。

イクパスイは、儀式の際に酒をその先につけてカムイへ捧げる。漆や金箔がほどこされた豪華なものも。細かいウロコ文様に沙流川地域の特徴が見られる

3つ目の「〈モシリ〉大地のめぐみ」のゾーンは、農耕や狩猟で使われていた道具などが中心。展示室にどんと置かれた丸木舟「チ」は存在感がある。カツラの木をくり抜いて作られており、日本一大きいものとか。沙流川という大河とともにあった暮らしを感じる。

「〈モシリ〉大地のめぐみ」のゾーン

家の外の東側に作られるヌササン(祭壇)

最後のゾーン「〈モレウ〉造形の継承」は、展示室を一度出てすぐ横にある細長いスペース。モレウとは「静かに・曲がる」という意味があり、アイヌ民具によく使われる曲線の文様を指す。モレウにも地域性があり、沙流川地域の特徴が表れている伝統的な手仕事の品々が展示されている。大切にしまわれている蔵の中へ入れてもらったような感覚になり、ここにあるものが暮らしとともにあった物であることを、よりリアルに感じられる。

「〈モレウ〉造形の継承」のゾーン。奥まで展示が続いている

萱野さんは、民具を収集する一方、手放すこともあった。そんなときは「物自体が動きたがっている」と表現したという。
「物そのものに心がある」として集められた物たちは、単なるコレクションではなく、物に込められたアイヌの人たちの心を集めたものだと、深く知るだろう。

平取町立二風谷アイヌ文化博物館
北海道沙流郡平取町二風谷55
TEL:01457-2-2892
開館時間:9:00〜16:30
休館日:月曜(11/16〜4/15) ※4/16〜11/15は休館日なし。12/16〜1/15休館
入館料:大人400円 小中学生150円
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