♪豊かに稔(みの)れる 石狩の野に 雁(かりがね)遙々(はるばる)沈みてゆけば
羊群(やうぐん)声なく 牧舎に帰り 手稲の嶺(いただき)黄昏(たそがれ)こめぬ
(明治45年寮歌『都ぞ弥生』2番より)
北海道の雄大な自然と憧れを高らかに歌い上げる『都ぞ弥生』は“三大寮歌”の一つと称され、北大生でなくとも知る人の多い歌だ。だが、寮歌として6番目に作られたことはあまり知られていない。
そもそも日本の寮歌の始まりは、旧制第一高校(現・東大)。明治20年代、自治寮の誕生を祝う祭りに併せ、学生が自作した歌を披露するようになり、独自の学生文化として全国に広まった。
北大で最初に寮歌が作られたのは、1907年(明治40)のこと。この年は、2年前に移転新築された寄宿舎が、中国の古典「書経」の一節「迪(みち)に恵(したがえば)吉」にちなんで「恵迪寮」と名付けられた年であり、札幌農学校が東北帝国大学農科大学へと昇格した年でもある。変革の中にあった当時の寮生たちが、精鋭のエリートを育てる旧制高校の風習に刺激され、「自分たちの旋律を」と寮歌作りに情熱を燃やしたことは想像に難くない。
とはいえ曲作りはスムーズに進まず、「寮歌委員」に選ばれた寮生たちが外国の歌や軍艦マーチなどを参考に試行錯誤。完成した苦心作、1曲目の寮歌が、『一帯ゆるき』だ。
『一帯ゆるき』(明治40年寮歌)
一
♪一帯ゆるき石狩の 源遠く霞(かすみ)罩(こ)め
五彩(ごさい)を染むる夕照(ゆふやけ)は
手稲の夏の栄(はえ)にして
そこに無限の恩寵(めぐみ)あり 是吾校(これわがかう)の在る処
※北大恵迪寮寮歌集アプリのYouTube再生リストでは、寮生の歌声で『一帯ゆるき』を聴くことができます。
以来、寮歌作りは恵迪寮の年中行事となり、1911年(明治44)からは寮生一般から公募するように。その翌年、6曲目の寮歌に選ばれたのが、『都ぞ弥生』。作歌は横山芳介、作曲は赤木顕次で、ともに予科2年生だった。
『都ぞ弥生』(明治45年寮歌)
一
♪都ぞ弥生の雲 紫に 花の香漂ふ宴遊(うたげ)の筵(むしろ)
尽きせぬ奢(おごり)に濃き紅や その春暮れては移ろふ色の
夢こそ一時(ひととき)青き繁みに 燃えなん我胸想ひを載せて
星影冴(ささや)かに光れる北を 人の世の清き国ぞとあこがれぬ
※北大恵迪寮寮歌集アプリのYouTube再生リストでは、昭和50年代の寮生の歌声で『都ぞ弥生』を聴くことができます。
1931年(昭和6)にはレコード化され、久保栄の戯曲「火山灰地」(1936年)にも登場するほど支持された『都ぞ弥生』だが、発表当初は「讃美歌のようでしめっぽい」と不評を買ったそう。ともに“三大寮歌”に挙げられる旧制一高の『嗚呼玉杯に花受けて』、旧制三高(現・京大)の『逍遥(しょうよう)之歌』と比べると、なるほど『都ぞ弥生』は西洋音楽に近い。明治の寮歌としては異色だったことが分かる。
ともあれ、「初めて発表された寮祭の夜、当時予科英語教授だった有島武郎が『よかった、よかった』と二人の手をにぎりしめた」(1966年2月17日付け北海道新聞)とのエピソードも示すように、北国の美を噛み締めるような静謐なメロディーは、多くの人の心を捉えた。戦前は寮生がNHK札幌放送局で歌って寮歌放送を行い、戦後は歌声運動の影響で道内外のさまざまなシーンで歌われるようになる。
1960年代に入ると、寮歌は全国でブームとなり、「寮歌祭」も行われたが、寄宿寮の縮小・廃止などから寮歌作りは廃れていった。そうした中、北大・恵迪寮は明治からの伝統を受け継ぎ、新寮歌を生み続ける稀有な存在となった。だが実際、令和の時代、寮歌はどれほど学生生活に浸透しているのだろうか?
「めちゃめちゃ歌います!」と声をそろえたのは、恵迪寮に住む総合教育部1年・宍倉樹(ししくら・いつき)さんと、法学部2年・加納央都(かのう・ひろと)さんだ。それぞれ、北大寮歌の“今”を知るキーマン。まずは宍倉さんの話を紹介したい。
宍倉さんは2021年4月に入寮してまもなく「寮歌普及委員会」に加わった筋金入りの“寮歌好き”だ。普及委員会とは、週1回寮生に寮歌を「指導」する寮生組織のこと。寮の自治を担う執行部や各種委員会と同じく、6月と12月の年2回メンバーが入れ替わる。新入りながら、なんと委員長に立候補した宍倉さんは、2021年12月まで十数人の仲間を率いて寮歌の普及に励んだ。
「寮歌指導は日曜の夜、寮中央の共用棟で行います。数曲をピックアップして歌詞の意味や時代背景を、寸劇を交えて紹介するんです」という宍倉さんの説明に、「すごく面白いですよ!」と合いの手を入れる加納さん。指導方法はコロナで模索され、感染防止対策を十分に取った対面式とZOOMによるオンラインを組み合わせて継続。「前の代は非公開のYouTubeチャンネルに動画をアップしたんですが、僕たちは寮生と同じ時間に歌えるZOOMを活用しました」と宍倉さん。オンライン指導も、ただ歌うだけではつまらないとドラマ仕立てのミニ動画も作ったという。
寸劇やドラマ? ただ歌うだけかと思った活動に意外な単語が飛び出したが、これは代々伝わるスタイルだとか。驚くことに、台本は毎回書き下ろし。宍倉さんによると、寮史のほか、寮歌の作者から曲の誕生秘話などを聞いた手紙といった“極秘資料”を基に考えるそうだ。
「この寮歌の魅力をどう伝えたらいいのかな、とずいぶん悩みました」と振り返る宍倉さんが、北大寮歌に初めて触れたのは、千葉県の高校2年生だった夏のこと。恵迪寮を見学した日がたまたま普及委員会のイベント日で、よくわからないまま数曲を歌い、楽しかったのが原体験となった。北大に見事合格したばかりの頃は自由な寮生活を謳歌したが、「僕が寮に入った目的は寮歌だった」と思い直し、普及委員会参加を申し出たという。
半年間、がっぷり四つに寮歌と組み合った宍倉さんに“推し”寮歌を伺うと、「『東雲はるか』や『北斗遙かに』でしょうか。あとは大正時代の…」と、話が止まらない! お薦めコメントとともに、3曲をご紹介しよう。
『東雲はるか』(昭和57年寮歌)「前の恵迪寮(2代目)が閉まる時の寮歌。大学当局との関係が悪かった時期でそんな不満も歌詞に込めつつ(笑)、寮への熱い思いが語られています」
※北大恵迪寮寮歌集アプリのYouTube再生リストでは、寮生の歌声で『東雲はるか』を聴くことができます。
『蒼天へ』(平成14年寮歌)「寮内では、誕生日の寮生が自分の生まれた年の寮歌を流すのが習わしで、これは僕が生まれた年の寮歌。3番までどれも「あおき」という歌詞から始まりますが、漢字が全部違う。言葉のチョイスが面白く、細かい部分まで気遣いを感じます」
※北大恵迪寮寮歌集アプリのYouTube再生リストでは、寮生の歌声で『蒼天へ』を聴くことができます。
『桑楡(さうゆ)哺紅(ほこう)に』(大正14年桜星会優勝歌)「北大体育会の前身・桜星会の歌ですが、寮歌の範疇です。優勝歌なので盛り上がるかと思ったら、勝利を噛み締めている感じが好きです」
※北大恵迪寮寮歌集アプリのYouTube再生リストでは、寮生の歌声で『桑楡哺紅に』を聴くことができます。
寮歌の魅力をたずねると、宍倉さんの口調は熱を帯びた。「僕なりにたどり着いた答えは、“寮生の心”。寮生活を楽しくし、仲間と盛り上がれる手軽な方法が、寮歌なんです」。さらに、「ゆったりした曲で気持ちを落ち着かせたり、ストレスを発散したりもできます」と続けた。
歳も学部も違う学生約360人が共同生活を送る恵迪寮。多くは道外出身者で、費用の安さ(光熱費込みで月額約1万5000円)に惹かれて入寮した学生たちも少なくない。慣れない土地での暮らしに、胸躍る瞬間もあれば、不安に苛まれる時もあるだろう。寮歌はいつの時代も、そんな若者たちの心に寄り添い、鼓舞してくれている。
新しい寮歌は、秋の「恵迪寮祭」(2021年は10月6日~11月2日)の一環として催される「寮歌祭」(2021年は10月27日)の中で発表される。2021年度は3曲候補があり、寮生による投票で選ばれたのが、この曲だ。
『北嵐』(令和3年度寮歌)
詩
呑めよ 集へや 酔ひ狂へよ
踊れよ 唄へや 笑ひ狂へよ
一
♪月(つく)の随(まにま)に盈(み)ちゆく淡燈(うすあかり)
蛮歌(うたい)を肴(とも)に飲酒盃(いさはい)空け干さば
深宵(みよ)まで痴(し)れて泥のよに伏す
朝(あした)そら朧(おぼろ)にて心(うち)と戯(たはぶ)る
娑婆(さば)の夢
二
♪なべて蓬莱(まほろ)は 揺蕩(たゆた)う蜃気楼
響(とよ)む晩鐘(よいのね) 花零(はなこぼ)る沙羅双樹(しゃらそうじゅ)
畢竟(ひっきょう)浮世(うきよ)は 泡沫(うたかた)よ
影映す般若湯(はんにゃとう) 酌(く)みて禊(みそ)がむ
根無草(ねなしぐさ)
「飲みの場で騒ぐのにちょうどいい曲」というコンセプトも納得の、この青春歌を作曲したのが、先に登場した加納さんだ。実は加納さんは、令和2年度寮歌『鴉翼(からす)の影』も作曲しており、寮歌史の中でも数少ない2年連続の作曲者となった。
元吹奏楽部で「音はすぐ浮かぶ」という加納さん。「作詞者に頼まれた前回は、コロナの影響もあって暗めの曲調にしたので、次は明るい曲をと早々に準備しました。でも1番の骨組みくらいしか歌詞が浮かばず、募集期間に入ってから相談した相手が、彼女です」と紹介されたのが、作詞を担当した文学部3年・吉野萌(よしの・もえ)さん。加納さんと同じ愛知県出身だ。
「寮歌に珍しいコンセプトで面白いし、この曲が埋もれちゃうのはもったいないと思って引き受けました」と話す吉野さんだが、作詞は初めて。「1番と同じテンポで歌えるように、3番までなんとか言葉を紡ぎました」。
ちなみに、2021年の新寮歌募集から決定までを取り仕切ったのは、宍倉さん率いる317期の普及委員会だ。『北嵐』を初めて聞いたとき、「すげー盛り上がる曲だな、と直感しました。ほかの候補曲の印象が薄れないように配慮したくらいです」と宍倉さん。投票は公平を期すため、候補曲の制作者を伏せて行われる。加納&吉野コンビもLINEなどでやりとりしながら曲を練り上げ、締め切りギリギリまで粘っただけに、「認めてもらえて嬉しい」(加納さん)「ほっとしました」(吉野さん)と喜ぶ。
「普段から何気なく寮歌を聴く」という2人だが、初めて耳にした時は戸惑ったという。恵迪寮の現状を教えてくれた執行委員の一人、工学部3年の富永祐雅(とみなが・ゆうま)さんも「寮歌指導を最初に受けた時は、古臭いなぁと思いました」と笑う。
「アイーン、ツバーイ、ドラーイ(「1、2、3」を意味するドイツ語)」の掛け声と前口上に始まり、肩を組んで合唱。赤いふんどし姿で踊る「ストーム」に象徴されるバンカラ気質は、現代にそぐうものとは言えないかもしれない。けれど、青春のパフォーマンスとして新鮮に感じ、連綿と積み重ねられてきた伝統の持つ熱量に魅了される寮生も少なくない。「趣味趣向がこれだけ異なる時代に、同じ歌を寮生が覚えていること、何曲も大声で歌う姿は感動的だった」と吉野さんは振り返る。
加納さんは寮歌文化を「寮生全員にとって特別で、びっくりするほど長く続いているすごく素敵なもの」と語る。一方、吉野さんは「時代の色が濃く反映される、寮史とは別の歴史書といえます」との見方を教えてくれた。富永さん含めた3人の“推し”寮歌は――。
『いつの日にか』(昭和51年寮歌)「昭和50年代は寮の建て替え時期と重なり、熱い寮歌が多い。それらもいいのですが、この曲はちょっと違って失恋がテーマ。子守歌のような日本古来の響きがあり、静かに口ずさめるのでよく歌います」
※北大恵迪寮寮歌集アプリのYouTube再生リストでは、寮生の歌声で『いつの日にか』を聴くことができます。
『あますなく拓きゆく道』(昭和17年大東亜戦争頌歌)「時制を反映させた言葉が散りばめられ、明らかに学生鼓舞の目的があるのが興味深いです」
※北大恵迪寮寮歌集アプリのYouTube再生リストでは、寮生の歌声で『あますなく拓きゆく道』を聴くことができます。
『寮生(おとこ)の道』(昭和58年度寮歌)「前口上が格好いいのに、歌はちょっと抜けてポップな感じ。そのギャップがたまりません」
※北大恵迪寮寮歌集アプリのYouTube再生リストでは、寮生の歌声で『寮生の道』を聴くことができます。
曲数が豊富なだけに当然かもしれないが、人によってこれだけお薦めが違うのも、寮歌の懐の広さであり、面白さだろう。それぞれの歌詞と向き合い、じっくり聴いてみると、その時代に生きた寮生たちの思いがダイレクトに伝わってくる。北海道の地で学ぶ高揚感、青春期の甘やかな感傷、学生らしい哲学的思索、未来への希望と不安…。「北大」「恵迪寮」といった枠組みを超え、現代を生きる私たちの心に訴えかける音楽の力が、寮歌にはある。
さて、取材中の私や寮生たちが、古い寮歌の制作年や歌詞を確認するのに何度も活用したのが、「北大恵迪寮寮歌集アプリ」だ。これまでの記事で紹介した歌詞の最後にも、YouTubeチャンネルのURLを張り付けたが、このアプリが使いやすくて便利! 開発したのは、北大大学院理学院博士課程の学術研究員・村橋究理基(むらはし・くりき)さん。もちろん元寮生、3年生だった2012年には第300期寮長を務めた方である。
寮歌アプリは、大学院進学のため寮を出た村橋さんが「趣味のプログラミング技術を生かしてアプリを作ってみたい」と考え、「スマホで寮歌の歌詞を確認できれば面白いだろうな」と思いついたのがきっかけ。
2014年6月、開発者登録に25ドル必要なアンドロイド版アプリの開発に着手。平行して歌詞のデータ化を始め、1カ月後には第1弾を公開した。続いてクラウドファンディングに挑戦し、集まった約15万円を元手にパソコン機材を購入して今度はアイフォン版アプリを開発。アイフォン版の公開には年間約1万2980円が必要なため、恵迪寮同窓会からの支援金(1万800円/年)やオリジナルグッズの売上金などを充てながら、定期更新している。
アプリには全ての寮歌のほかストームの歌、馬術部や山岳部など各部活の歌(部歌)、応援歌など約180曲を収録。歌詞はルビ付きで、半数以上は音声データで寮生の歌声を聴くことができる。公開して7年余り。インストール数は3000~4000件で、日々100~200回起動されている。
村橋さんにも、初めて寮歌指導を受けた12年前のことを聞いてみた。すると、「学ラン姿の寮生たちが肩を組んで歌う様子に『なんだこの宗教的儀式は!』と驚きましたが、大学生になりたての自分が寮生たちと合唱するという経験は、胸に迫るものがありました」との記憶を語ってくれた。
アプリの運営を通してさまざまな世代から話を聞く機会が増え、寮歌が立場や年齢に関係なく交流できる大切なツールであることを感じたという村橋さん。「面白いのは、各世代が現役時代の歌い方や雰囲気にこだわりを持ち、“自分たちの歌”と感じていること。それでも、寮歌が好きという根本の気持ちは共通しています」と話す村橋さんの、思い出の寮歌は?
『楡(エルム)は枯れず』(昭和55年寮歌)「入寮3日目、初めて自分で前口上を読み切り、歌を掛けることに成功した寮歌です。テンポが良くて歌いやすいのですが、実は時代によって歌い方が違うと知って驚きました」
※北大恵迪寮寮歌集アプリのYouTube再生リストでは、寮生の歌声で『楡は枯れず』を聴くことができます。
『快速エアポート』(平成24年度寮歌)「僕が3年生の時に選ばれた寮歌。寮祭では寮内を飾り付けするのが決まりで、僕の住む棟の廊下は電車をイメージすることに。僕の提案で、まだ候補曲だったこの曲をBGM代わりに連日流したところ、そのせいもあってか選ばれました。僕は別の歌に投票した気がしますが(笑)、そんな思い出を含めて懐かしいです」
※北大恵迪寮寮歌集アプリのYouTube再生リストでは、寮生の歌声で『快速エアポート』を聴くことができます。
村橋さんが寮歌アプリを寮生やOB・OGに限定せず、広く無料で公開するのは「あの不思議な高揚感をみんなに知ってほしいから」。「100年以上にわたり、毎年オリジナル曲を作る寮歌文化は唯一無二。今も続く歴史の重みを感じながら、ぜひ気軽に楽しんでもらいたい」と力を込める。
実は、寮歌を取り巻く状況は、コロナによって厳しさを増した。寮生以外の北大生に対する「寮歌指導」は北大応援団が担っているが、ここ2年ほどは休止状態。応援団員でもある宍倉さんによると、「今の1、2年生は、寮歌をほとんど知らない」という。
でも私は、それほど悲観していない。なぜなら北大関係者ではない私が、取材を機に寮歌に触れ、すっかり親しみを抱いたから。きっとあなたも、耳にし、口ずさめば、その魅力が分かるはず。恵迪寮が育んできた歌の数々は、100年後も北大出身の人々を懐かしませ、寮生たちに歌われていることだろう。
恵迪寮寮歌集アプリ
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