
狸小路7丁目から8丁目から先を望む。7丁目だけ1960(昭和35)年に架けられたアーケードを使用している。7丁目には『ラーメン富公』や『う月食堂』といった名店が軒を連ねていた

狸小路7丁目から8丁目から先を望む。7丁目だけ1960(昭和35)年に架けられたアーケードを使用している。7丁目には『ラーメン富公』や『う月食堂』といった名店が軒を連ねていた
振り返れば、私はずっと“狸小路辺り”で生きてきた。
20代で最初に勤めた広告代理店は南2条西5丁目だったし、転職した観光雑誌を出していた小さな出版社は狸小路5丁目アーケード内に面した古いビルの2階にあった。その後も南2条西8丁目のビルに事務所を構えるタウン誌に移り、その頃の住まいは南3条西9丁目だ。ゆえに私の20代の生活のほぼすべてがこのエリアに集約されていたと言ってもいい。それからススキノが雑誌の主戦場になるのだが、新たにオトンという雑誌を創刊するにあたり、再び戻ってきた。南3条西6丁目から現在の南2条西4丁目にオフィスを移動してからのここ25年以上、狸小路辺りがベースだ。
狸小路に本格的に通い始めた観光雑誌の出版社周辺にはおもしろい店がたくさんあった。
入社初日、締め切りだというのに編集長の姿が朝から見えない。携帯電話なんてない時代。先輩たちが編集長の自宅はもとより、立ち寄りそうなところに電話するもつかまらず。印刷会社の人は「明日、また来ます」と諦めて帰って行った。
夕方、会社に電話がかかってきた。「たまみちゅあ~ん、初日なのにいなくてごめ~ん。今、地下で飲んでるから~おいれぇ~☓☓☓☓☓(聞き取れず)」と明らかにろれつが回っていない。夕方とはいえ、まだ日も高く、ましてや締め切り日だ。飲んでる場合か!? 先輩たちは慣れたもので平然と「いつものことだから」と、行ってくるように私を促す。なんだかなあと思いながら地下にある居酒屋のような『海へ』へ向かうと、編集長は一人酔ってカウンターに突っ伏していた。私が声をかけると急に顔をあげ、カウンターに残っている明らかに冷えていない瓶ビールを私のグラスに注ぐ。歓迎しようとしてくれるのだが、泥酔しているせいでゆらゆら体が揺れるのでうまく注げない。しかしそんなことも意に介さず、「好きなものを食べなしゃあ~い」と上機嫌だ。その後、意味不明な話を延々と聞かされ、私の初日は終わった。
私はとんでもない会社に入ってしまったのかと不安になった。ただ編集長の名誉のために補足するが、当時50代前半(ほぼ私の父と同い年)で普段は紳士的な気のいいおやぢで、編集者としてのスキルも高い。まあ、酔っていても愛すべき人だったが。その後、『海へ』にはよく連れて行ってもらった。並びにあった喫茶店『マザーコットン』にもよく通った。また、経理にAさんという女性がいた。ちょうど私より一まわり上の明るくて元気な酒飲みだった。彼女は毎日、定時に仕事を終えると南3条西5丁目にあった焼き鳥屋に顔を出すのが日課。私もよく誘われご馳走になった。楽しそうに瓶ビールを飲みながら焼き鳥を数本食べてさっと帰る。たまに興に乗るとカラオケを歌いにススキノのスナックへ。人生で「行きつけ」という場所を得たのも、お酒との向き合い方を教わったのもこのころだ。この会社で多くのことを学んだ。
その後、どんな店に行っていたのだろうか。記憶をたどってみよう。
強烈に覚えているのは狸小路7丁目にあった『ラーメン富公』。いつ行っても行列ができるほどの人気店。店主は腹巻姿で高下駄を履いて大きな音を立てながら厨房内を行ったり来たりしていた強烈な個性の持ち主で、よく客を怒鳴っていた(怒鳴っていた、という表現は少し言い過ぎかもしれないが)。店内は常に緊張感に包まれていた。今では考えられないが、当時はこういう店が結構あった。その大半が行列ができるような繁盛店。おしゃべりしながら食べていると「しゃべらないでさっさと食べろ」と言わんばかりに店主が客をにらむ。ゆえに店内は静寂に包まれるというわけだ。でも圧倒的においしかったし、大将の優しい場面も見たことがあった。

10丁目の風景も大きく変わったが、かつての名残も所々にとどめる
アーケードのない10丁目の『金富士酒場』や『たまや』にもよく行った。ここではいつも同年代の仲間たちとあーでもないこーでもないと語り合った場所だ。時にはけんかになったりもしたが、そんなことが許されるような居心地の良い店ばかりだった。他に北海道最古のビアホール『ライオン』や60年以上営業を続ける『札幌新倉屋』、今はもうない『う月食堂』『山福』『炭や』『名曲喫茶ウイーン』『ロシア料理コーシカ』など名店がいくつもあった。『中川ライター店』やぱんじゅう屋さんも忘れられない。それと大好きな「狸小路市場」もはずせない。6丁目のアーケードから横道に南3条通りに抜ける。めんめ、いなり、ごん、しもくら――。渋い店が軒を連ね、お客さんを連れてゆくと、狸小路にこんな場所があったんだと皆とても喜ぶ。

日中の撮影だが、それでも「狸小路市場」からは変わらぬ空気感が
私の酒飲み人生はここ狸小路から始まった。お金が無くても飲めたのは、おやぢたちにご馳走になったから。「きみがもっと大人になったら、今度は若い人にご馳走してあげたらいいよ。バトンリレーだな」と、教えられた。
そんな狸小路が2024年に生誕150年を迎えた。
全長900メートル、店舗数約200軒の北海道最古の巨大商店街は、時代に翻弄されながらもその姿を保ってきた。札幌中心部がどんどん再開発され大きなビルが建ち、目まぐるしくその姿を変えようとも、この商店街が醸し出す下町情緒は間違いなく残り続け、ますますその存在感は輝くだろう。
古くて新しい。
今日もあの店に足が向く。