風通しのよさと「でこぼこ」が生むにぎわい~狸小路商店街理事長が語る、まちづくりの現在地と未来

150年以上の歴史を誇り、アーケードのもとに約200店が軒を連ねる、北海道最大の商店街・狸小路。
国内外から観光客が訪れ、夜も賑わいが絶えないここは、全国の商店街関係者や行政担当者が視察に訪れる「元気な商店街」の筆頭格である。
なぜ狸小路は時代が変わっても活気を失わず、人々を惹きつけ続けるのか。
組織運営の仕組みから、課題をにぎわいに変える発想、神社の由緒まで、札幌狸小路商店街振興組合理事長の島口義弘さんに、商店街の歩みと展望を聞いた。
光井友理-text 黒瀬ミチオ-photo

「合衆国制」と開拓のまちが生んだ気風

狸小路の組織構造について、島口氏は「分かりやすく例えると、アメリカの合衆国制のような感じ」と説明する。

1丁目から7丁目までの各ブロック(丁目)に自治権をもつ丁内会があり、そこから上がってきた問題を、統括組織である振興組合が調整・解決していく仕組みだ。組合の役員も各ブロックからの推薦によって選出される。
日本全国の主要な商店街をみると、多くの地域ではブロックごとに組合組織が分かれ、権限争いや対立を抱えているケースも少なくない。それに対し、狸小路のように約200店舗がひとつの組合組織としてまとまり、加盟率もほぼ100%を維持している例は全国的にも珍しいという。
なぜこれほど巨大な商店街で、一つの組織として協調できるのか。
島口さんは2つの理由を挙げる。一つは、直轄統治によって「1・7丁目といった端の丁目と、3・4丁目のような真ん中の丁目とでは起きる問題が異なるため、そのバランスを取る」という役割を担っている点だ。
そしてもう一つは「風通しの良さ」である。何か課題が生じた際も、個別の店舗が直接組合事務所に乗り込んで交渉するのではなく、まずは隣近所の顔見知り、あるいは丁内会の役員に相談する。そんな「江戸時代の長屋」のような距離感が保たれており、総会や新年会、忘年会といった直接顔を合わせる場を重ねてきたことが、今の関係性の土台となっている。
さらに費用の面でも「合衆国制」が徹底されている。アーケードなどハード面の整備費は各丁目の丁内会費として集められ、組合が個別の店舗から直接集金することはない。

アーケードなどの設備も皆で費用を出し合って維持していく

この良好な関係性の背景について、島口さんは札幌というまちの歴史に着目する。
「本州の商店街は城下町だったところが多く、町の重鎮がいたり、お城があった頃からの上下関係やしがらみがあったりする。札幌は開拓使がつくった街だから、5代前の先代が云々といった古いしがらみが一切ない」。
全国から集まった様々な人々が互いの文化や習慣をすり合わせてきた土地柄だからこそ、サバサバとした風通しの良い関係性が築かれているのだ。

 

「店長会」が育む、雇われ店長たちとの絆

祭りやイベントを引っ張る青年会は、普段から顔を合わせる親しい間柄

時代とともに、かつて多かった「1階が店舗で2階が住居」という形態の店は減っていき、土地・建物・営業者が異なるテナント店舗や、本州に本社を置く大手チェーン店が増えた。現在直轄経営を行っている店は、全体の2〜3割程度にとどまるという。
数年で転勤してしまう、いわゆる「雇われ店長」が増えると、親世代から引き継いで「青年会」に入り、商店街を支えるという今までの流れが細くなってしまう。
祭りやイベントを運営する機動部隊である青年会の縮小に強い危機感を抱いた振興組合は、テナント店舗の店長にも商店街の一員になってもらおうと「店長会」を発足させた。
しかし、ただ呼びかけるだけでは多忙な店長たちを集めるのは難しい。「まずは商店街に愛着を持ってもらうための投資と仲間づくりから始めた」と振り返る。
飲み会に始まり、過去にはソフトボールやドッジボール大会(けが人が多発したため廃止)、パチンコ店を貸し切ったパチンコ大会なんていうのもあったという。

現在でも100人規模で開かれるボウリング大会などの親睦イベントは続いている。朝、出勤してきたら「おはよう」と挨拶を交わし合える関係が生まれることで、初めて「一緒に祭り、イベントをやろう」という思いを持ってもらえるのだ。
こうした取り組みが実を結び、MEGAドン・キホーテといった大型店の店長も含めて一体感が生まれ、年に一度の「狸小路ナイトバーゲン」や「狸まつり」には、多くの店長や社員が携わるようになった。引き継ぎもスムーズに行われるようになり、転勤で札幌を離れた後も、祭りの時期になると顔を出しに戻ってくる元店長がいるほどの絆が生まれた。

 

治安悪化を乗り越えた「民間交番」と「歩行速度」を緩める「でこぼこ」

順風満帆に見える狸小路だが、幾度もの危機に直面してきた。1970年代の地下街(ポールタウン・オーロラタウン)開業時には客足がそちらに奪われ、強引な客引きやカツアゲなどが横行し、治安が悪化した時期があった。

3丁目のコンビニエンスストアは警察の立ち寄り所になっており、安心安全に過ごせる商店街をつくってきた

このままではいけないと、警察や民間が連携して自主巡回を行う「民間交番」的な防犯活動に取り組んだ。街の安全・安心を守る地道な取り組みが奏功して治安は改善し、歴代の内閣総理大臣や国家公安委員会などからの表彰も受けた。

「道路協力団体」認定で商店街の可能性増す

また、環境整備の面で大きかったのが、2018(平成30)年に商店街として全国初となる「道路協力団体」の認定を取得したことだ。
夏場、飲食店が店の前にテーブルを出し、小売店がワゴンを並べるといった行為は、行政から厳しく指導を受ける対象だった。しかし認定を取ったことで、店頭営業による収益を道路の清掃や整備に還元・再投資する合法的な仕組みを整えた。
これによって生まれたのが、狸小路特有の「でこぼこ」である。店が思い思いに商品やテラス席を出すため、通りには出っぱりと引っ込みができる。

このでこぼこが、訪れた人の足を止め、商売や活気につながる

「実は地下街と狸小路では、歩行スピードが時速2kmも差があるんですよ」と島口さん。直線的で均一な通路は歩行スピードが速くなり、「通路」となってしまうため、商売には繋がりにくい。「このでこぼこがあることで歩行速度が自然とゆっくりになり、足を止めるきっかけになる。それが商業的な強みになっている」と島口さんは分析する。

 

逆転の発想「deveso事業」と「狸二条広場」の創出

問題が起きた際、それを迅速にクリアするだけでなく「のちのにぎわい」へと転換させるのが島口流のまちづくりだ。
3丁目の商業施設「moyuk SAPPORO(モユク札幌)」の建設工事中、工事幕の影響で1・2丁目の通行量が半分以下に減った際にも、逆転の発想が光った。
市道のため固定建造物は置けない。しかし「タイヤが付いていれば固定物ではない」という発想から考案したのが、「deveso(デベソ)事業」である。
トレーラーハウスやキッチンカーを配置して流行りのファストフードや地元の果物店(サンフルーツ、今はモユクに出店)などを営業させた結果、通行量が大幅に回復。当時あのあたりを通ると、工事幕が一面にかかっていながらも活気があったのを思い出した。

大規模工事の空白を見事に埋めたデベソ事業の取り組み

完成後のモユク1階は公開空地になっており、札幌大通まちづくり株式会社などと連携してイベントが絶えないスポットになっている。
また、創成川の連続アンダーパス工事の際には、学者中心のデザイン研究会による「静かな公園案」に対し、「民間が使える東西交流の広場にすべきだ」と激しい議論を重ねた。
こうしてなんとか確保された空間に「狸二条広場運営協議会」を発足させ、隣接する二条市場、市、周辺の町内会と連携して、さまざまイベントを開催している。

特に夏場は食を楽しむイベントが多く開催されている狸二条広場

さらに、ノルベサの周辺などで問題となっていた観光バスの違法駐車や住民からの苦情に対しても、バス4台分の乗降・停車スペースを整備するなど、客を迎え入れる環境面の課題をすばやく解決してきた。

「新しもの好き」のDNA

ドラッグストアやインバウンド向け店舗が増える現在の変化についても、島口さんは「流行りものがほぼあるでしょう。活気がなければ流行っているものは来ない。時代の変化を映す鏡」と受け止める。

ドラッグストアからは、訪日客が大きな袋を両手に下げて出てくる

自身も土産店「たぬきや」の3代目として、狸小路の一員として変わっていく街とともに歩んできた。そのたぬきやも、前身は薬局、ファッション小物の専門店と姿を変えてきた110年以上の歴史を持つ。現在は訪日客で店内はいつもにぎわっている。

たぬきやも、狸小路ともに姿を変えて歩み続けてきた

長年培ってきた「顔を知っている」関係性があるからこそ、新しいジャンルの店舗が入ってきても「自分たちの利益や都合だけを考えて動かない」という共通の雰囲気が作られているのだ。
鈴蘭灯、アーケード、最高紙幣を使った「現金つかみどり」に至るまで、狸小路には昔から新しいものをおもしろがって取り入れてきた「新しもの好き」の文化がある。
青年会の視察から始まった名物「狸小路ナイトバーゲン」は、かつて2日間開催を提案したところ、スタッフから「疲れすぎる…」と悲鳴が上がり、1日限定だがものすごい熱気の今のかたちとして定着したというエピソードもある。

 

狸にまつわる壮大な物語

狸小路といえば、マスコットキャラクターの「だっこポン」や、商店街の設立100周年を機に建立された「本陣狸大明神社(狸神社)」である。
この狸神社には壮大な物語がある。かつて愛媛県松山市(四国八百八狸伝説の地)の神社から「男の神様」を、千葉県木更津市から「女の神様」をそれぞれお招きし、当時の板垣武四郎・札幌市長が仲人となって盛大な結婚式と市内パレードを執り行った。その後に生まれた子どもが松山へ里帰り結婚をし、さらに誕生した「孫の神様」が、2022(令和4)年に2丁目の「狸COMICHI」内に建立された、新しい狸神社に祀られているのだ。

狸はすっかり商店街の象徴として定着している

この狸の縁がきっかけとなり、2001(平成13)年には愛媛県の「松山中央商店街連合会」との間で姉妹商店街協定が結ばれ、現在も交流が続いている。

 

巨大開発ではなく、安全・安心・清潔を守り続ける

島口さんは自らを「問題が起きたら迅速に解決する革新系」と表現する。
巨大なビルを建てるといった大がかりな計画を目指すのではなく、「安全で安心、清潔な空間を維持し、時代の最先端を理解して導入していくこと」こそが最大の使命だと語る。
「夜10時を過ぎても人がいっぱいで、全国から『狸小路は元気だね』と言われる。これ以上の褒め言葉はないよね」と島口さん。

新しいものを柔軟に呑み込み、人と人との顔が見える関係を守り続ける。
150年の歴史に裏打ちされた軽やかでたくましい姿勢こそが、狸小路がトップランナーであり続ける一番の理由だろう。

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