黒澤明といえば『七人の侍』や『椿三十郎』が有名だが、『白痴』はその前。『羅生門』が伊・ベネチア国際映画祭グランプリを獲得し、世界に注目される直前に撮られた作品だ。原作はロシアの文豪・ドストエフスキーの同名小説で、ロシアの都市サンクト・ペテルブルグだった舞台を、なんと、北海道の札幌に置き換えて映画化した意欲作である。
主人公は、「てんかん性痴呆(白痴)」の亀田(森雅之)。純粋で無垢な魂を持つ彼が、強欲な男・赤間(三船敏郎)、美女・那須妙子(原節子)、令嬢・大野綾子(久我美子)と出会い、濃厚な愛憎ドラマを繰り広げる…という物語。
と聞き、「オ、重たそう」と感じる方もおられるだろう。確かにその通り。
しかも本作は、4時間25分だった内容を、制作会社・松竹の意向で2時間46分に縮める羽目になり、さらに難解に。結果、映画史に埋もれてしまった“失敗作”といわれている。
けれど、時代が変われば、映画の見方も変わる。
三代目駅舎に鉄道管理局、消防本部の望楼…。今や失われた札幌の瀟洒な街並みを眺めるだけでも、一見の価値大あり! 特に、イラストのシーンは、中島公園の名物行事だった「氷上カーニバル」が登場。こんな不思議な祭りが札幌にあったんだ!という驚きと、クライマックスシーンとしての異様な熱気に圧倒されること間違いなしだ。
そして最近、原作本(望月哲男訳、河出文庫)を読んで驚いた。登場人物のキャラクターや重要な場面のエッセンスが、映画の中にしっかり落とし込まれているではないか! フランス版『白痴』(1946年、ジョルジュ・ランパン監督)と見比べると、その差は明らか。断然、黒澤版の方が面白く、「重たい」なんて敬遠していた自分を反省したのであった。
私にとってこの黒澤版『白痴』は、公開から70年近く経ったいま、ようやく輝き出した映画の“原石”だ。もっと磨けば、眩い光を放つに違いない。とすれば、完全版フィルムの消失が悔やまれる。どうか、どうかどこかに現存していますように!
「白痴」1951年/黒澤明監督/出演・原節子、森雅之、三船敏郎、久我美子/166分
新目七恵(あらため・ななえ)
札幌在住の映画大好きライター。観るジャンルは雑食だが、最近はインド映画と清水宏作品がお気に入り。朝日新聞の情報紙「AFCプレミアムプレス」と農業専門誌「ニューカントリー」で映画コラムを連載中。
ZINE「映画と握手」
新目がお薦めの北海道ロケ作品や偏愛する映画を、オリジナルのイラストと文で紹介するA3四つ折りサイズの手作りミニ冊子。モノクロ版は、函館の市民映画館「シネマアイリス」、札幌の喫茶店「キノカフェ」、音更のカフェ「THE N3 CAFÉ」で随時配布中。