あの裕次郎が、北大生になって「都ぞ弥生」を歌ってる!
64年前、映画館に押し寄せた観客は、新鮮な思いでスクリーンを見たことだろう。
1958年8月に公開された「風速40米(メートル)」は、石原裕次郎22本目の作品。本数は多いが、裕次郎の銀幕デビューはわずか2年前、1956年の「太陽の季節」だ。若者のセックスと暴力を描き、“太陽族”という流行語まで生んだ話題作では脇役だった彼だが、2カ月後に封切られた姉妹編「狂った果実」では主演。またたく間にブームを巻き起こした。この2作で反抗する若者役を大胆不敵に演じた裕次郎は、その後、流しのジャズマン(「嵐を呼ぶ男」)、失意の元プロボクサー(「俺は待ってるぜ」)、巨悪に立ち向かう過去のある男(「錆びたナイフ」)といった、アウトローの役どころで圧倒的な支持を集める。孤高のヒーローというイメージが強かった彼が、屈託のない好青年キャラクターとしての魅力を爆発させたのが、この「風速40米」である。
物語は北アルプスの山小屋から幕開け。嵐で避難した北原三枝ら女子大生たちは、不良に絡まれたところを見知らぬ若者2人組に助けられる。名乗らず颯爽と去った彼らこそ、我らが裕次郎!(と川地民夫) 北海道大学工学部建築学科4年の裕次郎は、実家に帰京途中、山登りを楽しんでいたのだった。
実は、裕次郎の父(宇野重吉)は北原の母(山岡久乃)と再婚したばかり。2人は義理の兄妹だったことが東京での再会で判明し、意気投合して「都ぞ弥生」を歌うシーンが、上のイラストである。
映画のクライマックスは、タイトル通りの暴風雨の中、裕次郎が荒くれ男に立ち向かうシーンだ。実際の台風を利用して行われたという撮影現場の熱気が伝わってくる。
裕次郎演じる主人公が建築学を専攻しているのは、日本経済が急成長を果たし、全国的に建築ラッシュだった時代背景を反映させたとか。「学生姿もグッとイカス裕次郎の新魅力!」との宣伝通り、日活の看板スターとして大売出し中の裕次郎に学生役をさせたかったのは分かる。が、なぜ、「北大生」だったのだろうか?
色々調べたが、確たる証拠は見つからなかった。ここからは私の想像だが、北海道という土地のロマンシチズムに加えて、すでに有名だった「都ぞ弥生」という寮歌の存在が、北大生設定を後押ししたのではないだろうか。
というのも、“裕次郎映画”に歌はつきもの。本作でも、主題歌「風速40米」をはじめ、風呂場で口ずさむ「旅姿三人男」、後輩役の川地と踊る「ソーラン節」(下のイラスト)、ナイトクラブで歌い上げる「山から来た男」と、各シーンで裕次郎が歌声を披露。なかでも「都ぞ弥生」は、ヒロインの北原と夕焼け空のバルコニーでデュエットし、青春映画らしい見せ場の一つとなった。
戦後の日本映画黄金期、一挙手一投足が憧れの的となった大スター・石原裕次郎。もしかすると、本作を観て北大を志し、恵迪寮に入った人もいたのでは?と妄想してしまう。
「風速40米」1958年/蔵原惟繕監督/出演・石原裕次郎、北原三枝、川地民夫、渡辺美佐子、宇野重吉/97分
新目七恵(あらため・ななえ)
札幌在住の映画大好きライター。観るジャンルは雑食だが、最近はインド映画と清水宏作品がお気に入り。朝日新聞の情報紙「AFCプレミアムプレス」と農業専門誌「ニューカントリー」で映画コラムを連載中。
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