まちの「間」へ
まちの喫茶店に行っていますか?
例えば、土曜日の午後、読みかけのミステリーを携えて喫茶店へ向かう。そんな(自分にとっての)贅沢な時間が大好きです。どこの喫茶店に行くかはその日の気分で、よく行く店へ足を向けることもあれば、ネットで好みに合いそうな店を探す日もあります。時には、かなり以前に行った店の記憶をたどって車を走らせることもあります。そういう場合はあえてネット検索をせずに出かけ、移動も含めた時間を楽しみます。その喫茶店がすでになくなっていることも少なくはありません。残念ですが、それもまた“喫茶店へ行く”ことの一部と考えるようにしています。
2001年に出版した『さっぽろ喫茶店さんぽ』の序章に<喫茶店はまちの「ゆとり」とか「間(ま)」なのではないかと思います>と記しました。
この本の取材で、昭和の札幌にあった『イレブン』という喫茶店の当時のオーナーにお話を聞き、喫茶店がまちの中心、文化の発信基地となっていた時代が確かにあったのだと感じました。また、北大近くの喫茶店のマスターは「学生は複数で来ても特に話すことなく携帯電話の画面をそれぞれ見ているから、学生街の喫茶店という概念はなくなりつつある」と2001年当時に喝破していました。
しかし、それでも喫茶店という場と空間が有する、まちの「ゆとり」とか「間」という性格と意義は変わっていないような気がします。
そして近年は、ゆっくりと美味しいコーヒーが楽しめる店であることに加えて、人と人、人とまちがつながり、多様な活動のハブとして機能する場になっている喫茶店やカフェが増えているようです。「コミュニティカフェ」もさまざまな地域社会の課題に取り組み、活動しています。
最近はチェーン型のカフェばかりという人も少なくないでしょう。私もよく利用します。外れなしの安定感と安心感はすごいものだと感じます。
でも、たまには以前によく通ったまちの喫茶店に足を向けてみてはいかがでしょうか。カウンターの中のマスターは少し老けたかもしれませんが、老練な手が淹れる一杯のコーヒーは変わっていないはずです。