【旧永山武四郎邸~まちと歴史的建造物の楽しみ方-1】

旧永山邸は、古くて新しい!

サッポロファクトリー東側に佇む旧永山武四郎邸。約30年前から一般公開されていたが、知らない人も多い

永山武四郎がプライベートを過ごした私邸「旧永山武四郎邸」が、札幌に現存することをご存じですか。北海道開拓史において、特別で、貴重なこの建物が、6月23日(土)にリニューアルオープンします。ひと足先に見学したところ、そこは、驚きに満ちた空間でした。
新目七恵-text 黒瀬ミチオ-photo

武四郎の決意がここに

冒頭、わたしは旧永山武四郎邸を「北海道開拓史において特別」と表現した。
ひっそりと佇むその外観から、「それはちょっと大げさでは…」と思った方へ、説明したい。

旧永山邸が建築されたのは、1877(明治10)年代前半のこと。
“屯田事務局長(当時)・永山武四郎が、札幌に家を建てた”。――このニュースは、おそらく驚きとともに、道内を駆け巡っただろう。
なぜなら、本州から赴任する開拓使の役人には、住まいが用意されていたからだ。たとえば、旧永山邸と同時期に建てられた官舎「旧開拓使爾志通(にしどおり)洋造家」(俗称・白官舎)は、北海道開拓の村に復元展示されている。

そうした中、永山は札幌に土地を購入し、(もちろん自費で)家を建て、家族で住んだ。後に第2代北海道庁長官を務め、1904(明治37)年に亡くなるまで20年余りの間、生活の拠点としたわけだ。
その暮らしぶりを、永山の三男・武美はこう回想している。

(前略)私の生家にきて、明治三十五年夏まで父といっしょに寝た八畳間で休み、感慨深いものがありました。(中略)父はこの家から屯田兵司令部や道庁に出勤していたのです。
(共同文化社発行『よみがえった「永山邸」 屯田兵の父・永山武四郎の実像』の〈「永山町史」第四編 屯田〉からの引用より)

札幌に自邸を建てる。それは、“北海道人”として生きようとした、彼の決意の表れだろう。
しかも、その場所は、北海道庁赤れんが庁舎に始まり、日本人初のビール工場・開拓使麦酒醸造所(現・サッポロファクトリー)などが建ち並ぶ「札幌通」(現・北3条通)に面していた。北海道開拓を象徴するスポットに、堂々と構えるこの邸宅を、人々は尊敬のまなざしで眺めたに違いない。

旧永山邸に関する貴重な史料『札幌繁栄図録』(明治20年発行)の絵図。手前の道は札幌通(現・北3条通)。(邸内の掲示物を撮影)

そして、振り返ってみれば、歴代の北海道庁長官32人中、札幌に家を残し、墓を建てたのは、永山だけだった。この事実が、旧永山邸の存在感を、今なお高めているように感じるのである。

 

“奇抜”な和洋折衷の真意とは

さて、改めて旧永山武四郎邸を眺めてみよう。

木造平屋建て。全体として重厚かつ簡素な意匠でまとめられている

…お気づきになりましたか。『札幌繁栄図録』の絵図との違いを。
実は、現存する旧永山邸は、かつてあった建物の一部なのだ。
絵図では、西側(絵図右)にある寄棟屋根の主棟から、切妻平屋の家族用の従棟(絵図左)が北へと大きく続いているが、この従棟部分はもうない。代わってそびえるのは、三菱鉱業株式会社の社員寮「旧三菱鉱業寮」である。

外壁や窓枠のきれいな若草色は、今回のリニューアル工事で復元された

旧永山邸と旧三菱鉱業寮。隣接しているのに、外観がこれだけ異なるのは、造られた時代が違うから(※詳しくは下記の年表を参照)。今回のリニューアルでは、旧三菱鉱業寮側にカフェや多目的スペースが設けられたのだが、それは次回紹介するとして、ここでは旧永山邸の特徴や見どころを探りたい。

「一番の魅力は、和洋折衷がダイレクトにつながっている点ですね」と話すのは、NPO法人歴史的地域資産研究機構(れきけん)代表理事の角幸博氏。

北海道大学で建築工学を学び、北大教授時代も含めて40年以上にわたり、道内の歴史的建造物の保存・活用に励む角氏。思わず「角先生」と呼んでしまう

“和洋折衷がダイレクトにつながる”とは、どういうことか。それは、中に入れば一目瞭然。

洋風の応接室と和風の書院座敷が直接くっついている。当時、洋室は別棟や廊下をはさむのが一般的だった。ここは、主人・永山の部屋であると同時に、接客空間として使われていた


「和室側の開口部にある額縁の意匠などは、ほかには例がないくらい奇抜と言えます(笑)。今のデザイナーなら、あそこまで力強くできません」

和室側から見る間仕切戸。幾重にも繰形(くりがた)をつけた額縁意匠が見事だ

き、奇抜!? そこまで珍しい造りとは…と、ここでふと、疑問が生じた。
開拓使は明治期、ロシア風の寒地住宅を導入しようと試みていたはず。実際、開拓使長官だった黒田清隆は、新築の永山邸に洋室がひとつしかないことに苦言を呈した、という逸話も伝えられている。
角先生、永山が自邸に和風をここまで取り入れた理由を、どうお考えですか。

「これは私の想像ですが、永山は『すべてを洋風にするのは無理がある』と考えたのではないでしょうか。たとえば、洋風建築の官舎は、玄関がなく、扉の先は廊下でした。これは、“靴を脱がない”という生活様式が基ですが、実際は在来の風習から靴を脱いでいました(笑)。『これはまずい』と永山は思ったのか、永山邸には玄関があり、式台も設けられています」

玄関の土間と床の段差が大きい場合に設置される板「式台」は、和風玄関の特徴のひとつ

「生活には“和”が必要。けれど、上司の黒田が言うとおり“洋”も必要だった。それをどう取り込むか考えたとき、当時としては、どうしていいか分からないわけです。であれば、ダイレクトにつなげよう! という考え方が、現代からすると、新鮮な建築要素になっているといえます」
なるほど。一見“奇抜”な和洋折衷スタイルは、時代が生んだ大胆さ、とも受け取れる。

「もしかすると、洋間はパブリックに来客を迎え、心許せる人と過ごすときは和室を使ったかもしれません。縁側からの庭の眺めも美しいでしょう」と角氏

メダイヨンの謎を解け

旧永山武四郎邸を訪れたら、注目してほしいポイントがもうひとつ。
応接室の天井を見上げてほしい。

ランプの釣り元に、美しい円形模様が。素材はなんと漆喰で、左官職人の高度な技術が求められるという

これは、「メダイヨン」や「メダリオン」などと呼ばれる中心飾りで、照明器具の釣り元に施された、浮き彫り装飾された台座だ。旧永山邸のそれは、モミジが模られている。
この中心飾り。なんと、札幌市内にある、ほかの歴史的建造物2カ所にもあるのだ。
それは、豊平館と清華亭。

札幌駅近くにある札幌市有形文化財「清華亭」(撮影:伊田行孝)

実際に足を運んでみると、本当にそっくり!
中心飾りだけではない。特に清華亭は、外壁の意匠や建築様式などが旧永山邸とよく似ている。
これら共通点から、「旧永山邸は(2施設と同じ)1880(明治13)年に建築されたのではないか」という調査報告が、1985(昭和60)年にまとめられている(※「よみがえった『永山邸』 屯田兵の父・永山武四郎の実像」より)。

調査団のメンバーでもあった角氏いわく「設計資料が残っていないので確かな証拠はありませんが、おそらく間違いないでしょう。当時は開拓使の絶頂期。開拓使の優秀な技術員が永山邸建築をサポートしたと考えると、小さい建物ながら、どこにも隙がない見事な造りにも納得です」

「本来和と洋をくっつけると、どこかに不都合な点が出る。けれど、旧永山邸はエリア分けがきちんとされています」と角氏

そして、角氏はこう続けた。
「旧永山邸は、私邸なのであまり研究が進んでいませんが、もしかすると、開拓使の中で重要なポジションにある建物なのかもしれません。(開拓使の象徴である)五稜星がないだけで…」

ちなみに、この中心飾りは、“伊豆の長八”系の左官職人によるものとか。
伊豆の長八とは、江戸末期から明治にかけて活躍した伊豆の名工・入江長八のこと。彼の浮彫りは、漆喰装飾の一技法だった鏝絵(こてえ)を芸術の域にまで高めたと評判を呼んだ。当時、明治天皇北海道行幸のため、洋風ホテル(豊平館)を建てようとした開拓使が、特別に職人たちを招いたのだそうだ。

旧永山邸から豊平館、清華亭へ。
たったひとつの装飾から、想像は広がってゆく。

というわけで、いよいよ6月23日(土)、新装オープンする旧永山邸。
次回7月4日(水)は、旧三菱鉱業寮を含む新たな楽しみ方を伝えたい。どうぞお楽しみに。

旧永山武四郎邸及び旧三菱鉱業寮年表

▼明治10年代前半 ※1880(明治13)年との推定もあり 永山武四郎が私邸を建設
▼1904(明治37)年 永山逝去
▼1911(明治44)年 三菱合資会社が炭鉱開発の調査本部とするため、旧永山邸の土地・建物を一括買収。その後、三菱鉱業株式会社が所有
▼1913(大正2)年 敷地のうち約313坪を道路用地として札幌市に寄贈
▼1937(昭和12)年頃 建物北側を解体し、三菱鉱業寮部分を増築。旧永山邸部分は貴賓室として使用
▼1985(昭和60)年 市街地再開発事業の一環として、札幌市が敷地を取得。旧永山邸及び旧三菱鉱業寮は寄贈。周辺環境の整備、邸宅の修復・修繕工事を開始
▼1987(昭和62)年 旧永山邸が北海道有形文化財に指定
▼1989(平成元)年 旧永山邸の一般公開を開始
▼1990(平成2)年 永山記念公園設立
▼2005(平成17)~2006(平成18)年 旧永山邸の大規模な保存改修工事を実施。可能な範囲で復元し、建築当時の姿に戻した
▼2017(平成29)年 旧三菱鉱業寮の保存改修工事を実施

▼2018(平成30)年 6月23日、新たな歴史観光文化スポットとしてリニューアルオープン

札幌市旧永山武四郎邸及び札幌市旧三菱鉱業寮
北海道札幌市中央区北2条東6丁目
TEL: 011-232-0450
開館時間:9:00~22:00(貸室は21:00まで、カフェの営業は11:00から)
休館日:毎月第2水曜日、年末年始
入館料:無料
WEBサイト

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