白いのれんをくぐってなかに入ると、ピカピカ黒光りする床と太い梁に目を奪われる。長い時間が重なり合い、大勢の人の記憶が積もっているような空気。そのなかにコーヒーのいい香りが心地よく漂っている。
「鰊伝習館ヤマシメ番屋」は2014年に住民有志が設立した一般社団法人「積丹やん集小道協議会」が町から譲り受け、2016年から鰊文化の伝習施設として開放している建物。「ウニ丼を食べに来た人が、のんびりお茶を飲める場所があったらと思って。それから、地元の人が集まる場所になればいいなあと」。そう話すのは「ヤマシメCafe」を切り盛りする武田友華(たけだ・ゆか)さん。
武田さんは1年半ほど前に札幌から移住してきて、「地域おこし協力隊」として働いていた。昨年の初夏のこと、町内を散歩中ふらりとヤマシメ番屋に立ち寄り、趣のある建物と雰囲気に惹かれて「こういう場所で面白いことができたら」と思うようになった。
山登りやシーカヤックなどアウトドアが大好きな彼女は、これまでネパールなどいろいろな国(しかも秘境辺境)にでかけ、地元に住んでいる人に、その土地のことを教えてもらうのがすごく楽しかったそうだ。あちこちをたくさん旅してきて、これからは「そっち側になりたい」という気持ちが生まれてきた。
その後、町内の会合で「積丹やん集小道協議会」のメンバーと知り合い、町のイベントの企画をしたり、鍋をつつき合ったりしているうちに親しくなり、「ヤマシメ番屋をもっといろいろな人が出会う場所にしたい」とメンバーに相談すると、じゃあやってみたら、ということになった。晴れて今年の5月から、番屋の喫茶部門を含めて周囲にある石蔵などを活用するプロジェクトを、協議会の全面協力のもとで武田さんが担当することになった。
プロジェクトの名前は、ここの地名「船澗(ふなま)」にちなんで「澗 HIROMA」とした。
「澗」は、谷に流れる川という意味があります。
町の歴史を思わせる建築群の谷間に、まるで水路が流れ込んで潤いを与えるように。
そして、家族やゲストが賑やかに集う「広間」のように。
「澗 HIROMA」は、北海道・積丹町に残る歴史的な建築物を活用し、
地元の人と外から訪れる人が集い、出逢う場を提供することで
古いものに新たな時を刻むプロジェクトです。
~「澗 HIROMA」WEBサイトコンセプトより~
(その後、ウェブサイトが閉鎖されたことを確認しました)
番屋の1階は2016年から喫茶営業を行っており、鰊場ゆかりの三平汁のほか、サクラマスやウニのおにぎりを提供している。こちらの料理は、かつて美国から船で20分ほどの場所にあった浜婦美(はまふみ)村出身の戸来和子(とらい・かずこ)さんの監修。戸来さんの祖父は網元で、戸来さん自身も小学5年生まで番屋で暮らし、漁期には大勢の働き手「やん衆」たちの食事を用意していたという。
「三平汁とおにぎりはやん衆もよく食べていましたから、ここで出すメニューにぴったりでしょ」と戸来さん。そこに、武田さんがコーヒーとおしるこなどの甘味を追加し、現在のヤマシメcafeのメニューが完成。夏は特産のウニを求めて多くの観光客が押し寄せる美国だが、食後にコーヒーが飲める場所が少なかったため、たちまち好評となった。
それから、武田さんが積丹に住んで疑問に思っていた「町内で栽培している野菜を買う場所がない!」からスタートした『日曜マーケット』も大人気だ。販売するのは、地元産野菜のほか、近隣産の手作りとうふ、札幌から駆けつける出張花屋の生花、焼き菓子などで、地元民も観光客も気軽に買い物に立ち寄るようになった(一部の野菜は平日も販売)。
「遠くまで買い物に行けない人も、ここで少し買い物ができたら便利ですよね。野菜を売り始めたら、『魚も売って〜』と言われたりして、それは大変なのでやってませんが(笑)」。
今年、番屋にはほかにもいろいろな動きがあった。
戸来さんを先生に、地域の伝統菓子「花だんご」を作る講習会を開催したり、漁協の青年部を招いてウニの殻むきからやる「究極のウニ丼作り」のイベントをしたり。番屋の吹き抜け空間を舞台にライブも行った。
もちろん鰊文化を伝える施設として行う活動も継続している。その一つ、来館者に当時の暮らしを解説するボランティアを期間中ほぼ毎日担当するのは、「積丹やん衆小道協議会」の監事でもある河岸悟郎さん。河岸さんはかつての福井家の息子と中学生まで同級で、番屋によく遊びに来ていたという。
「福井さんは漁場を三つ持っていて、一つの漁場に30人くらい働いていたから、やん衆だけで90人以上の人がいました。そのほかにも、船大工とかまかないとかがいたから、漁期の3月〜5月は本当に賑やかでした」
昔のことを知る人から直接お話を聞くと、歴史がぐっと近くなる。
そもそも、なぜこの番屋が保存されることになったのか、積丹やん衆小道協議会の代表理事長・別所範一さんにお話を聞いた。
ヤマシメ番屋=旧ヤマシメ福井邸は鰊漁の衰退とともにその役割を変え、1949(昭和24)年以降は旅館や下宿となった。1970年代からは全く使われなくなり、建物は積丹町に寄贈され、長い間物置同然になっていたという。2008年に大きな台風で屋根のトタンが一部飛び、雨風が入るようになってからは一層傷みがひどくなった。
2011年、町は財政悪化を理由にヤマシメ番屋を売却することを検討し、町議会で可決された。しかし、そのころ別所さんたちは別の町のこんな話を耳にする。
「鰊番屋が競売に出されて何百万円かで売れたらしいけど、すぐに全部解体されて無くなってしまった」
たとえ別の持ち主になったとしても、その後何かに改装され、町のためになるならいいだろう、と別所さんたちは考えていた。しかし、そうではないのだ。
売却された番屋は、町からまるっきり無くなってしまうかもしれない。
競売の買い手は、番屋が刻んだ歴史ではなく、太い梁や柱の材木としての価値や建具の豪華さ、「材料」としての価値を評価しているのだ。そう気づいた別所さんたち町民数名は、「番屋を町に残そう」と研究会を結成し、町議会に何度もかけ合い、ついに売却計画は白紙となった。
その後も波瀾万丈、紆余曲折、多くの人の努力が重なり、ヤマシメ番屋は現在の姿となった。「これからも番屋がここにあり続け、いろいろな人が町に来て、ゆっくり時間を過ごしてくれればうれしいです」と別所さん。
100年前と変わらずに堂々と立つ番屋の姿は、それぞれの時代に生きる私たちの動きをじっと見つめているように思える。
鰊伝習館ヤマシメ番屋
北海道積丹郡積丹町大字美国町字船澗39
TEL:0135-48-5715
開館時期:5月上旬〜10月中旬(冬期休業)
営業時間:9:00〜16:00
定休:火曜日
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