北海道の気候風土をいかして、おいしいものを生産したり、
開拓期からの技をいまに伝えたり、世界に誇れるものを生み出したり、
道内各地を放浪して出会った名人たちに、その極意や生き方を聞いてみた。
手作りクレヨン工房

「絵を描けない少年との約束からはじまった」

vol.4 
Tuna-Kai(トナカイ) 伊藤朋子さん/標茶町
天然の草花や樹木、貝殻や土などを原料にクレヨンを作り始めたのは17年前、化学物質過敏症のため「色のついた絵を描いたことがない」という少年に出会ったのがきっかけだ。「君のために作るよ」と約束して10年かけて生まれたクレヨンは、全国の同じような悩みを持つ人々の心を救っている。
矢島あづさ-text 伊田行孝-photo

君が使えるクレヨンを作るよ

動物好きの朋子さんが北海道にやってきたのは18歳の時。帯広畜産大学卒業後、佐呂間町で農家の嫁になった。腰を痛めて農作業ができなくなり、「これなら私にもできるかも」とブームだった草木染をはじめた。道端に生えているような草花から染料を抽出し、布が染まっていく過程は楽しく、染色家としての活動が広がり、道の駅で作品を販売することもできた。しかし、ある時期から「自分にしかできないオリジナリティーを出せているだろうか」と悩みはじめる。この先、アーティストとして生きる道も少し違う気がした。

身近な草花から色をもらって、クレヨンを作ろう。そのきっかけをつくったのは、北海道自然体験プロジェクトで大阪からやって来た一人の少年だ。1日目は草木染を体験してもらい、2日目は余った染料を絵の具にして絵を描いてもらった。「いろいろな色で絵を描いたことがないから、うれしい」と喜ぶ姿に驚き、化学物質過敏症の存在を知る。市販のクレヨンや絵の具には、石油系のアレルギーを引き起こす材料を使うものが多く、その子はそれまで色で表現することをできずにいた。思わず「君が使えるクレヨン、作ってあげるよ」と約束した。けれど試行錯誤を重ねて完成するまで、10年の月日が流れた。

結局、少年に渡すことはできなかったが、朋子さんのクレヨンは発売されると全国から反響を呼んだ。長年、美術教師だった人から「突然アレルギー反応が出て職を失ったけれど、また絵を描けるようになった」、視覚障がいの子の母親から「髪の毛を紫色に塗り、幼稚園で怒られて絵を描けなくなった子が、このクレヨンで救われた」など、次々と礼状が届くようになった。

トナカイのクレヨンには、赤、青、黄といった原色はない。タンポポ、フキノトウ、イタドリ、ドングリ、エゾヨモギなど、その色を出してくれた草花や木の実が色の名前になる


色は一般のクレヨンに比べてやや薄めだが、描いたあとに水でこすると水彩画のような表現ができる


草花をコトコト煮だした液にミョウバンと重曹を入れると色が分離する。それをフィルターでこし、乾燥させたものが顔料だ。ポタ、ポタ、ポタ…という水滴の音は色が生まれる瞬間


自然界からこんなにカラフルな顔料が生まれる。これに蜜ろうや羊脂などを混ぜるとクレヨンに、樹脂を混ぜると絵の具になる。量り売りもしてくれ、手作り絵の具キットもある


全国から届くお便りやクレヨンで描かれた絵は壁一面に貼られ、朋子さんの活力になっている

どんな色になるかな? あれもこれも試したくなる

朋子さんの工房は、まるで実験室のようだ。「いやぁ…失敗だらけ。花が赤くても、そのままの色を取り出せるわけではないし、緑色も植物からストレートに作るのは難しい。クサギという青い木の実がとても素敵な色なので作りたかったけれど、顔料にしてみたら、真っ白になっちゃって…」と、笑いながらも楽しんでいるようす。

ある日、ヒグマのうんちでクレヨンはできないか?と思いついた。でも、原料を入手するのはあまりにも危険すぎる。そこで、ヒグマが食べるフキやドングリなどの植物から作った「ひぐまのごはんクレヨン」を知床財団とのコラボで完成させた。「ヒグマを恐れるだけでなく、もっと知ってほしいから」と、その生態や出合ってしまったときの対処法を書いたパンフレット付きにした。最近は、十勝の仲間と協力して、幼稚園児たちが摘んだ草花や木の実で作った「十勝色クレヨン」を制作中。

フィリピンで活動している青年海外協力隊から「日本のような支援がまったくないこちらの障がい者が自立できるようにクレヨンを作りたい」とメールが届けば、惜しみなく協力するのも朋子さんだ。「フィリピンには重曹がないから、代わりに小麦粉を使った」と聞いて「成分がまったく違うのに…」と驚いていたら、「古くから卵や小麦粉を顔料に混ぜるテンペラ技法があるから、あながち間違いではない」と専門家が教えてくれた。ピンときた朋子さんは、帯広で超強力粉「ゆめちから」を生産する知人から、廃棄処分していた粉のカスを入手。重曹の代わりに小麦粉を使えば、思うように発色するのではと実験を重ねる。ついでに、クレヨンにも絵の具にもならない顔料と「ゆめちから」を混ぜて、柔らかい小麦粉粘土も開発中だ。こんど訪れたとき、どんな新しい色が生まれているのか、楽しみでたまらない。そして、大人になった17年前の少年が会いに来てくれることを願わずにはいられない。

「いまは道内にはない茜の根を使っているけれど、この辺の道端にも生えているクルマバソウで赤い色を出してみたい。あと十勝の土は黒いから…」と道産にもこだわる朋子さん

できたてほやほやのクレヨン。1色完成するまで1カ月半くらいかかる正真正銘の手作りだ


森の中で拾い集めたオニグルミの殻やドングリの帽子に詰められた絵の具もなんとも愛らしい


工房と入口を挟んで並ぶショップでは手作りクレヨンや顔料を購入できる。主に十勝で活動する仲間の作家たちの雑貨も販売されている


すべて手書き、手作りの「トナカイ通信」(年4回発行)には工房の情報が満載


廃校になった小学校の敷地内にある元教員住宅を工房に。道路から奥まったシラカバ並木のその先だ

手作りクレヨン工房 Tuna-Kai
北海道川上郡標茶町虹別原野704-3
営業期間・時間/ゴールデンウイーク~8月10:00~17:00、9 ~11月上旬 10:00~16:00
定休日/月・火曜日 ※臨時休業の日もあります
TEL:090-4736-4789
Webサイト

この記事をシェアする
感想をメールする
ENGLISH