「南極での経験は、あなたにも役に立つ」
vol.15オーロラキッチン 西村淳さん/札幌市 標高3800mといえば富士山より高く、酸素も平地に比べて20%少ない。年平均気温-57℃、最低記録気温-79.7℃。ウイルスさえも生存できない。そんな過酷な場所にある南極ドームふじ基地で越冬した西村淳さんといえば、南極料理人でおなじみだ。笑い転げるような14カ月を綴った『面白南極料理人』は、すでに映画化され、この冬、BS深夜枠で連続ドラマが始まった。なぜ、いま、南極料理人なのか?
吐く息も白くならない-70℃の世界
南極に日本初の観測拠点「昭和基地」が誕生したのは1957年。1年を通し平均気温は氷点下だが、−10.4℃といえば北海道でも体感できるので想像はつく。ところが、そこから1000km離れた南極ドームふじ基地の年平均気温は-57℃。南極の中でも最も低温領域とされる地での越冬が、どれほど過酷なものなのか。たとえば、雪のブロックを切り出すために使うチェーンソーも刃を回し続けなければ、モーターが凍結してしまうほどだ。「俺らは命がけの冒険家じゃないからね。あくまでも地球の過去、現在、未来を調べる観測隊。室内は19℃程度、道産子には少し寒いけれど、本州の冬の室温くらい。耐えたという感覚は一度もない。我慢することも、苦痛もまったくなかった」。そう豪語する西村さんは、1989年に第30次南極観測隊として昭和基地へ、1996年に第38次南極観測隊としてドームふじ基地へ、海上保安庁から参加した調理担当者だ。
ドームふじ基地では、深さ3000m以上掘削して氷床コアを採取し、分析することで過去約100万年間の気候変動が判明すると期待されている。「行ってわかったのは、地球上に-100℃の環境があり、意外と人間が生きられるということ。研究者は観測するのが仕事だけど、俺らはライフラインを作り続けるのが仕事だから、どんな環境でも生き延びることを考える」。それに…と続けた言葉に、想像以上の別世界が広がった。「外に1歩出たら、未知の世界が広がっているわけで、吐く息も白くならない。大気に不純物が混じっていないので、白く濁らない。これほど空気がきれいなところにいると思えば、うれしいですよ。ブルーから紫に変化する空の色や舞い続けるオーロラ、夜明けのない朝、沈まない太陽など、今まで見たことのない現象が見られ、何が起こるか予想できない日々は、やっぱり楽しい」
南極料理人として「できない」を禁句に
通常、私たちが年間に口にする食材は200種程度。南極ではフォアグラ、キャビア、トリュフなどの高級食材から、シカのアキレス腱や熊の手など珍品まで、880種もの食材が揃っていたという。とはいえ、ほとんどが冷凍・乾燥食品。さぞかし隊員たちの胃袋を満たすのは大変だったに違いない、と思いきや「南極ではお湯の沸騰温度が80℃。そんな環境の違いはあったけれど、冷凍麺を使えば解決できたし、レタスの栽培実験もしていたので生野菜も食べられた。毎日、冷蔵庫の中をのぞいて賞味期限をチェックし、隊員の希望や体調を考えながら献立を作るので、家族のために料理するのとあまり変わらない。いま、予算内でランチ定食を考えるより、南極の方がずっと楽だった」と笑い飛ばす。
南極料理人として自分に課したルールは、「食べたいと言われたら、どんな料理でも作る。できないと言わないこと」。そんな西村さんをビビらせたのが、隊員の「イチゴのショートケーキが食べたい!!」。人間は、スイーツ男子(親父?)でなくても、ある意味隔離された状況に身を置くと、ありとあらゆる食べ物を欲するようになるらしい。誕生日にはわがままを聞くと約束したので、「とにかく徹底的に高価なものを食いたい」とねだる隊員のためにカニのデコレーションケーキを作ったこともある。土台は毛ガニとタラバガニ、その上に35gで5000円はする利尻産ウニをたっぷりのせ、珍重されているベルーガのキャビアをふんだんに散らした。「でもね、全然うまくなかった。うまいもの同士を合わせても、おいしい料理になるとは限らない(笑)」。なるほど、容姿端麗で頭脳明晰な人間ばかりを集めても、うまく世の中が回らないのと同じだ。
失敗が逸品を生んだ経験もある。ある日、うっかり卵を凍らせてしまった。解凍すると白身は元に戻るが、黄身は凍ったままだ。もったいないので黄身を醤油に1日漬け込んでみたら、これが「自分は名人か!!」と勘違いできるほど絶品の卵料理に変身した。凍らせて水分が抜けたことで、醤油がしみ込みやすくなったためだ。大根も同じように凍らせてから出汁の中に浸しておくと、おいしい煮物になる。そんな調理過程を横で見ていた科学者は「料理は化学だ」と、方程式を書きながら分析し始めた。西村さんは「こいつ、イライラしているな」と感じたら、隊員たちに好きな料理を作らせることを思いつく。大抵の不満は、それで解消できたという。
まさかのときもパニックにならないために
海上保安官として鍛え抜かれた精神力を持つ西村さんでも、南極でパニックになったことがある。それは、14カ月間のドームふじ基地での任務を終えて、雪上車で昭和基地へと戻る帰路のこと。研究材料となる氷床コアをソリに載せて無事に昭和基地まで運べるかどうか、緊張のあまり3日間寝付けなかった。ようやく海の上に南極観測船「しらせ」が見えた瞬間、その緊張感がゆるみ、突然、自分がどこにいるのか分からなくなり、右に曲がらなければならないポイントを見失った。ルート探索をかけてなんとか到着したが、どんなに訓練された人間でも、こういうことは起きるのだ。
その体験のおかげで、帰国後にどんな状況に置かれてもパニックになったり、焦ることもなくなった。海保退職後、料理講習会や講演会などで、災害・緊急時の対応方法を語り伝えることも増えている。「昨年のような地震が起きても、大切なのは状況をきちんと把握して、自分の取るべき行動をすること。テレビでコンビニに並んでいる人の姿を見て、普段食べもしないカップ麺を買い込む高齢者が多かったと聞きます。そんなことに体力や時間を使うくらいなら、冷蔵庫にあるものを先に食べていく方が賢明。間違った情報に流されないこと」
「緊急用被災グッズは、一時的にしのげればいいように作られているから長持ちしない。そんな高価なものを買い揃えるよりも、家の中にある身近なもので対処することを考えた方がいい」と、いくつかの裏技を教えてくれた。たとえば、ロウソクの代わりにバターを使う。火を付ける芯代わりにパスタを折ってバターに挿すだけ。パスタが脂を吸収するので火も付きやすくなるそうだ。また、火事が発生したら、消化器がなくても重曹を撒けば、二酸化炭素が発生して火を消すのに役立つ。これは、南極でも使った技で、隊員たちはしぼんだゴム風船の中に重曹を入れて、いつでも対処できるようポケットに忍ばせていたという。
西村さんが思い描いている地方創成とは、「何もないことがいかに大切か」を考えること。「昔、田舎には何もなかったけれど、自分たちの知恵を使えば、そこからその土地ならではの文化が生まれていた。いまは、何でもあり過ぎる」が持論だ。「都会の有名シェフに頼んで特産品を作っても人口が減り続ける地域に人は集まらないよね。それより、地元の食材で若手の料理人を競わせるA1グランプリを毎年開いて道内各地をめぐる方が、よほど盛り上がると思うんだけどなぁ」。南極料理人は、何もないところで情熱を燃やすタイプらしい。
オーロラキッチン
北海道札幌市中央区南10条西14丁目1-25 GMSビル1F
ランチ営業/毎週水・金曜日12:00~14:00
週2回、南極料理人が腕を振るうボリュームたっぷりのランチ定食(600円)が食べられる。店の看板は出されていないけれど、ビル入り口のインターホンで「オーロラキッチン」を呼び出してね。
レンタルキッチン/平日10:00~18:00
料理イベントや講演会、商品開発、料理撮影などに便利なレンタルキッチン。プロ仕様の調理道具や食器も完備し、ホールは最大100人収容可能。スクリーンやプロジェクターもあり、スペースを仕切れば会議室としても使える。また、予算に応じて西村さんの愛情たっぷりの宴会料理も注文できる。
TEL:011-211-1507 FAX:011-211-1508
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