シゴトと暮らしとまち。

フィッシングガイド 杉坂 隆久 60歳

待つ時間も、釣る瞬間も、
共有できることが楽しい。

森由香-text 露口啓二-photo

幻の魚が棲むポイントへ

早朝の朱鞠内湖。赤いボートがゆっくりと、静かな湖面に滑り出す。
「朱鞠内湖はエンジン付きのボートが禁止。なので、電動モーターだから時間はかかるけど、まぁ、のんびりいきましょう」。
にこやかに話をしながらボートを操るのは、フィッシングガイドの杉坂隆久さん。案内してくれるのは、幻の魚と呼ばれる“イトウ”が生息するポイントだ。

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イトウをはじめ、サクラマスやワカサギなどが生息し、多くの釣り人が訪れる朱鞠内湖

北海道には観光名所の湖がいくつもあるが、朱鞠内湖は、観光客よりも釣り人たちの知名度が圧倒的に高い。地図を見るとよくわかるのだが、朱鞠内湖はギザギザとした独特の形をしており、まるでフィヨルドのように切り込んだ地形が絶好の釣りポイントをつくる。何よりイトウが生息する湖として、釣り人には聖地とも呼ばれる存在なのだ。
イトウは、絶滅危惧種に指定されている日本最大の淡水魚。河川開発によって多くの生息地が失われ、現在は北海道の限られた河川にだけ生息している。そんな“幻の魚”と、本当に遭遇できるのだろうか?
「もちろん確約はできないけど、ポイントはいくつかおさえてあるので、その日の光、風、水温の変化で釣り場を決めて、お客さんを案内するのが最初の仕事」。

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赤いボートで釣り場へ案内してくれる杉坂さん。朱鞠内湖のポイントを熟知している

お目当ての入り江にボートを着けると、杉坂さんはテンガロンハットをかぶり、大きなランディングネット(釣った魚をすくう網)を手に、風の流れや湖面を見ながら、釣り人へフライ(毛ばり)を投じる方向を指示する。
杉坂さんには自分で決めたルールが2つある。ひとつめは帽子。ふだんプライベートで釣りをする時はハンチングスタイルだが、ガイドの時はテンガロンをかぶり、自分の釣竿は持たない。お客さんのガイドに集中するよう、帽子で気持ちのスイッチを切り替えるそうだ。
「ガイドの方法はお客さんによって変わる。テクニックを知りたい人もいるし、自分の世界に入り込む人もいるから。この人はほっといた方がいいと思ったら、山葡萄を採りにいくこともあるよ。ジャムにしてお土産にあげたら喜ばれるからね。つまり、お客さんに楽しんでもらうことが僕の仕事かな」。
もうひとつのルールは、イトウがヒットした夜は、スパークリングワインで祝杯をあげること。たとえ、イトウには会えず、乾杯が叶わなくても、杉坂さんに会えることを楽しみに、遠方から釣り人たちはやって来るのだろう。

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12年前にイトウと出会ってから、今までにキャッチ&リリースした数は120匹を超えるという

北海道だから成立する仕事

2014年秋から北海道名寄市に暮らす杉坂隆久さん。実は、フライフィッシングの世界では、この名前を知らない人はいないと言われるほどの存在だ。18歳から本格的にフライフィッシングを始め、28歳の時にプロショップを立ち上げ、オリジナルブランドの商品を販売。会社経営のかたわら、釣り番組や専門誌の依頼で国内外を飛び回り、フライフィッシングの魅力を広めてきた人だ。
そんな杉坂さんが、北海道へ足しげく通うようになったきっかけは、やはり“イトウ”だった。
「初めてイトウを釣ったのは12年前、スクールの講師を頼まれて朱鞠内湖に来た時。その引きの強さ、釣り上げた時の感覚は、今まで経験したことのないものだった。それからは、もうイトウに夢中になった」。
そして、60歳が近づいてきた時、会社もブランドも信頼する社員に譲り、北海道への移住を決意。大好きな朱鞠内湖に近く、イトウが生息する河川にも近いことから、名寄の地を選んだ。

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大型になると1mを超すイトウ。杉坂さんの自宅に飾られたオブジェで大きさを実感

フライフィッシング発祥の英国では、ガイドは“ギリー”と呼ばれ、一目置かれる存在だ。釣りのサポートだけではなく、釣り場の環境を守り、伝統を引き継いでいくことも仕事だという。日本では、ベテラン釣り師がボランティアのようにガイドするケースが多いが、「北海道だったら、フィッシングガイドの仕事は成立すると思う」と杉坂さん。
「自然が豊かな分、危険な場所も多い。お客さんの安全を守ることもフィッシングガイドの役目。そして、イトウのような難しい魚がいるのも北海道だけだから」。
杉坂さんもガイド歴は長いが、専業で始めたのは昨年から。今年のシーズンインとなる5月は、予約が次々と入り、いきなりフル稼働になったそうだ。実働29日間、休みはたった2日。「さすがにプライベートで釣りに行こうとは思わなかった。休日は家でじっとしていたよ」と笑う。

釣り人たちを名寄へ呼ぼう

杉坂さんが名寄で一緒に暮らすのは、パートナーの斉藤眞美さんと愛犬の“ごん太”。釣り好きであり、料理人の眞美さんは、昨年12月、自宅の横に「Gonta Café」をオープン。

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キャンピングカーで道内の釣り場をめぐり、名寄への移住を決めた杉坂さんと眞美さん

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Gonta Caféの看板犬、ゴールデンドゥードルの“ごん太”はみんなのアイドル

「営業日は釣り人が集まる金・土・日だけ。ほかの日は自分も釣りがしたいから」と笑う眞美さん。ところが、カフェに来るのは釣り人ばかりじゃない。眞美さんの料理の腕を知った近所の人たちが、婦人会や老人会の集まりにも利用してくれるようになったそうだ。

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週替わりで楽しめるGonta Caféのランチ。写真はジャガイモのニョッキ

「家からの眺めはいいし、近所の人たちは親切だし、本当に名寄を選んでよかった。静かに暮らすつもりで来たけれど、いまは地域のためにできることがあれば手伝いたい」と杉坂さん。
釣り人たちが泊まれるロッジも少しずつ増築している。名寄は釣りを楽しむには絶好のロケーション、そのことを体感してもらうことで、名寄ファンが着実に増えると考えているからだ。

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釣り好きが気軽に集まれるようにと、自宅横に建てたロッジ

最後に、フィッシングガイドの仕事の魅力をお聞きした。
「北海道に来てから“楽しい”と思うようになった。以前は、自分ならこう釣るとかつい考えていたけど、いまは、お客さんと一緒に釣り上げるような感覚。喜んでいる姿を見るのが本当にうれしい。ようやく大人になれたのかな(笑)」。
杉坂さんのFacebookには、リリース前のイトウを手にした釣り人たちの笑顔がぞくぞくアップされている。何より満面の笑顔なのは、釣り人の隣りにいる杉坂さんだった。

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ガイドした釣り人と記念撮影。釣り上げたイトウはすぐにリリースされる
(写真提供:杉坂隆久)

●Gonta Café
北海道名寄市風連町字西風連2350
WEBサイト
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