北海道の気候風土をいかして、おいしいものを生産したり、
開拓期からの技をいまに伝えたり、世界に誇れるものを生み出したり、
道内各地を放浪して出会った名人たちに、その極意や生き方を聞いてみた。
【もち菓子店】

「翌日には硬くなる、昔ながらの餅しか作らない」

vol.27 
もち処 月寒いわた 岩田 泰彦(いわた・やすひこ)さん/札幌市
1965年創業の<月寒いわた>の二代目・岩田泰彦さんは、昨年12月に80歳を迎えた。夏に3カ月ほど休業していたが、心身ともにリフレッシュして創業当時の味を守り続けている。先代の父・文吉さんは<月寒あんぱん>の初代工場長を務めた菓子職人。開拓時代を物語る銘菓とつながりがあると知り、その昔ながらの職人技を覗かせてもらうことにした。
矢島あづさ-text 伊藤留美子-photo

父は月寒あんぱんの初代工場長だった

<月寒あんぱん>といえば、札幌出身であれば誰もがピンと来る。国道36号線月寒中央通7丁目から453号線沿いの平岸小学校前までを結ぶ2.6kmの<アンパン道路>は、1911(明治44)年、地域住民と陸軍第7師団歩兵第25連隊が協力して完成させた道路だ。当時、村が合併したことで、豊平にあった役場が月寒に移転し、不便になった平岸側の住人のために新たな道路工事が計画された。予算がない中、無料奉仕で工事を手伝ってくれた兵隊さんへのお礼として1日5個ずつ配られたのが、地元で作られていたアンパン。その菓子パンを現在も作り続けているのが1906(明治39)年創業の<月寒あんぱん本舗(株式会社ほんま)>である。

1942(昭和17)年頃の月寒あんぱんの工場。前列右から2人目が初代工場長の岩田文吉さん、左端の子を抱いているのは、泰彦さんの母ひな子さん(画像提供:株式会社ほんま)

「父は元々月寒あんぱんの初代工場長だったの」泰彦さんは、店の成り立ちを静かに語り始めた。「母は月寒あんぱん創業者・本間与三郎の姪っ子。母の弟にあたる叔父が、月寒中央通6丁目に<ショッピングセンターだいいち>を開業してね。父を独立させて、だいいちで餅屋を開くように命じたの」。その後、だいいちを閉店することになり、老舗市場の<いこいストア>に移転したが火事に見舞われ、21年前、実家のあった現在地に路面店を開いた。「人通りの少ない中通りだし、みんなに反対されたよ。でも、何とか60周年を迎えられたから…」と笑う泰彦さん。

その日、泰彦さんは午前3時から仕込みを始めた。まず、ボイラーに火をつけて、もち米を研いで蒸す作業から一日がスタートする

餅をつくとき、手水さえも使わない

菓子職人としてのこだわりを尋ねると「うちの餅は、増粘剤など添加物を一切入れないので、翌日には硬くなる。だから、その日に出る分だけを毎朝作る。米をつくときに手水も使わない。焼いたり、雑煮にするには、それが一番おいしいと思うから。水分は、うるかす(北海道や東北などの方言で、米などを水に浸すこと)ときに米が吸収する分だけ。私は<無水杵つき餠>と呼んでいるの」と泰彦さん。以前は内地(道外)米を使用していたが、道産米も品質がよくなったので、最近は愛別産のもち米<風の子もち>を選ぶようになった。餅にしたときの粘りが長持ちし、コシや細やかなキメが優れており、冷めても軟らかい品種だ。

一年で最も忙しいのは年末。正月用の餅は完全予約制、12月20日くらいから餅菓子の製造は中止する

「あと、夏と冬では餅のつき方を変えるの。冬は少し多めに、夏は軽めにつく。夏は気温が高いから、冬と同じ状態でつくと、ベタッとした仕上がりになる。その年の新米の出来や気候によって調整するから、季節の変わり目が一番大変」と言う。

一番人気は豆大福。一度に食べきれない場合は軟らかいうちに冷凍保存するとよい

もうすぐ雛まつりの桜餅の季節。3月は年末に次いで忙しくなる

すあまや団子は上新粉に砂糖を加えるだけ

「親父の代からずっと続けているのは、添加物を入れないこと。すあまや団子の生地も上新粉(うるち米粉)と砂糖のみ。今はそんな店、ほとんどないんじゃないかな。上新粉にも等級があって、でんぷんを混ぜているものもあるの。白玉は家庭でも作りやすいけれど、上新粉を扱うのは、ちょっと難しいかもしれない」と、串団子ができるまでの工程を見せてくれた。

上新粉に水を加えて練った生地を蒸す

生地をつきながら、少しずつ砂糖を加える

つき上がった生地を棒状にして団子の木型に置く

型のふたを上下にスライドさせると…

あら、不思議!! まん丸の愛らしい団子がコロコロ…

串に団子を4個刺して

小豆餡、みたらしだれ、ごまだれ、きな粉をからませたら完成

団子の木型は文吉さんの代から使われていた。前の店では機械で丸めていた時代もあり、しばらく木型を使っていなかったが、昨年、3カ月休んだことで「また、やってみるか」という気持ちになったという。「毎日作って硬くなったら捨てていたから、2、3日持つように、別のやり方をしようと思ったこともある。でも、やっぱり、親父の顔が出てくるんだよね」

後継者のことを考えなくなり気が楽に

菓子職人一筋のように見える泰彦さんだが、先代の後を継ぐまでには紆余曲折があった。「私は菓子職人になるつもりは全くなかった。札幌第一高校を卒業したのが1964(昭和39)年。出来たばかりの航空工学科で勉強して、飛行機の整備士を目指していたんだよね」と過去を話し始めた。卒業後、整備士にはなれなかったが、羽田で航空燃料を扱う会社に勤めた。札幌に帰るきっかけは、文吉さんが倒れたこと。長男として店を継ぐことも考えたが、札幌に戻ってからも、なかなか踏ん切りがつかず、地元企業に半年ほど勤めた。「商売をやるなら早い方がいい」と周囲から説得されて店に入ったのが1968(昭和43)年頃。10年ほど文吉さんのもとで修業をした。「親父は昔気質の職人だから、何も教えてくれない。見て、覚えろ! と言うタイプ。何度も喧嘩して店を飛び出し、だけど心配だから戻って来る…そんなことの繰り返し(笑)。親父が脳梗塞で4回目に倒れた時、一人で店をやる決意をした。親父の技は自然と身についていたし、和菓子に対する考え方もすんなり受け入れることができたの」と振り返る。

小豆餡は、和菓子の基本。十勝産の小豆を20kgずつ炊いてストックしておく

盆菓子用の木型。「私は上白糖と水だけで作っていたの。立体的に色付けして評判がよかった。食べる人も少なくなったから、もう作らない」と、店内に木型だけ展示している

「うちはね、私の代で終わり。後継者のことで頭を悩ませていた時期もあったけれど、そう決めたらすごく気持ちが楽になった。3カ月休んだ時は、天国だったね(笑)。休養したことで、まぁ、1年でも長く、無理しないで続けて行こうと思えるようになった。あと5年は大丈夫かな(笑)。今、2階に筋トレの器具を何台か置いて、身体を鍛えているんだよ」と、ほがらかに笑った。

現在の看板娘はパートの川合まどかさん。「後継ぐか?って聞いたら、絶対嫌だって(笑)」と泰彦さん。「だって、ここは社長のファンが多いですもん!!」

創業当時から作り続けてきた餅菓子。「おふくろの味を懐かしむように、この店を閉めても、うちの餅をまた食べたいと思ってもらえたら嬉しい。お客さんの記憶に残すことができたら、それでいい」。店主の願いは、少し泣かせる

もち処 月寒いわた
営業時間/9:00~17:00 売れ切れ次第終了
定休日/日曜日
北海道札幌市豊平区月寒東2条9丁目1-18
TEL:011-851-7802

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