没落した炭鉱町に漂う人間の情念
合田一道・ノンフィクション作家/一道塾主宰
小説『観音力疾走』の舞台は、かつて炭鉱町で栄えた歌志内市である。作者の高橋揆一郎はこの町で生まれ、育った。それが揆一郎の作品のすべてに色濃く影響しているといえる。
『観音力疾走』は、二度目の夫が坑内で落盤事故に遭い、「わたし」は待たされた挙げ句に病院へ行く。だが夫は意識もなく、廃人同様になる。逃れられない運命とあらがいながら、しかししたたかに生きていく炭鉱の女を、一人称の語り言葉で描いている。
実はこの作品は最初、夫が主人公だったのだという。本人の文面によると「坑夫伝吉」という小説を書き、東京の出版社へ送ったところ、編集者から「主人公を女房にしてはどうか」といわれ、送り返された。女を書くのが苦手な揆一郎が、苦吟の果てに書き直したのが『観音力疾走』である。この作品により、作家として不動の位置を築くことになるのだから、人生はわからないものだと思う。
「わたし」は最初の夫に逃げられた三十二歳の子持ちで、十三の長男を頭に、次男と長女がいる。金のない貧乏暮らしの日々。そんな中で「まむし」の伝吉に出会う。
わたしが笹籔ば踏みこえて林道に一歩出ましたらそこに大男がにゅうと立っていたのですから、わたしはそのときのおそろしさは山賊かひとごろしに出会ったように思ったです。
男にいきなり衣服を剥がされ、襲われた「わたし」は、間違えて覚えたお経「みっしょうかなりき」と必死になって唱える。金を渡され、ありがたく受け取り、また会って。でも噂になるのが怖いし、こんな商売女のような真似は嫌だと思う。六回目の時、麦粉でパンを焼き、それを持って竹藪に行き、二人で食べた。
あのひとはしばらく考えて、おれのかあちゃんになんないかといったわけです。それを聞いてわたしは泣くだけしか能がありません。なあして泣くかな、とあのひとはびっくり顔するけど、わたしだって好きで泣いているんでない、わたしは、はい、のそのひとことがいえないのだから泣くしかありません。
結局、二人は結ばれる。心配は長男のこと。ぼーっとしていて、時々てんかんを起こす持病がある。前の亭主はよくなぐったので、そのたびに体ごと防いだ。だから「長男にだけは手を出さないで」と頼んだ。ところがこの二人は、相性がいいのか揉め事も起こらない。でも長男は突如、亡くなる。一年半後にこんどは伝吉が事故に遭う。呼んでも応えない夫。ぽかんとして見ていると、夫が亡くなった長男に見えてくる。「わたし」は夫と長男がひとつの人間になったように思い、歌を歌ってあやす・・・。
*イラストはすべて高橋揆一郎氏による(所蔵:歌志内市郷土館「ゆめつむぎ」)
『観音力疾走』の舞台は、歌志内市の住友上歌志内鉱と呼ばれる地域である。かつては洗炭場の建物や坑内に通じる坑口が見え、山間にへばりつくように炭鉱住宅が立ち並んでいた。死と背中合わせの暗闇の職場に生きる男たちと、それを支える女たちは、せっかちなほどの熱い人情を寄せ合い、陽気な笑い声が絶えなかった。
「わたし」や伝吉が住んだ町は、あの無残なまでのエネルギー革命の渦に巻き込まれた。そんな中で揆一郎はひたすら書き続けた。いま作者の描いた炭鉱町はその面影もないが、没落した炭住跡に立つと、揆一郎が「わが文学の故郷」と称してやまなかった遠い日の炭鉱町が浮かび上がってくる。人間の情念がいまも漂うこの町は、作者にとって消えることのない「永遠の故郷」だったのであろうと思う。
(冒頭の写真は平成24年度に財団法人北門信用金庫まちづくり基金助成事業によって復刻されたもの)