純白の雪への憧れ
小説の舞台は、北海道札幌市。短く凝縮されたような夏や秋、雪に閉ざされる冬から雪解けの季節、と四季を通してダイナミックな自然が感じられる。
著者が札幌市内の大学在学中に執筆した『雪の断章』は、懸賞小説に入選して昭和50(1975)年に刊行され、ベストセラーとなった。作品には、著者の故郷北海道の風景が強く影響している。特に、雪は創作の種子であり、一生涯を通じて愛すると後のエッセイに書いている。
倉折飛鳥は、生後2カ月で札幌市の孤児院に収容された。6歳のとき、市内の本岡家で名ばかりの養女となり、働き詰めにさせられる。同い年の次女、長女や両親からの虐げに2年間耐えていたが、とうとう次女奈津子に口答えして家を飛び出た。以前迷子になり助けられた思い出の場所で、飛鳥はあの優しい青年にまた会いたいと願った。
どうにでもなるがいい。度胸がすわった。暗い空に向かって点々と続くテレビ塔の灯りは星のようだ。(中略)私の来るところはこの公園しかない。三丁目のベンチを探した。雪をかぶっていたけれど同じ場所にあった。
仕事帰りの滝杷祐也(たきえ・ひろや)と再会した飛鳥は、この奇跡を離さなかった。祐也の決断で、アパートでの生活が始まる。管理人のおじさん、通いのお手伝いのトキ、妹のように可愛がる厚子はじめ同僚、絶えず遊びに来る祐也の親友史郎たちに囲まれ、飛鳥は徐々にその年齢らしい明るさを身に着ける。だが飛鳥が高校2年の年の暮れ、本岡家の長女聖子が毒殺された。父親の剛造は、祐也の勤務先の系列会社の部長で、聖子はこのアパートに越していた。事件時は祐也の部屋で皆が忘年会をしていた。第一発見者として飛鳥も追及されるが、真相は解明されずに年を越し、まるで何もなかったかのように日常が過ぎた。
同じ学校に進学した奈津子との軋轢を抱え、クラスの親友順子と仲違いをした飛鳥に、祐也が言って聞かせる。
「飛鳥も順ちゃんも本岡奈津子もみんな同じなのだ。時期がちがうか形が異なるかであって、哀しみや喜びは公平に順番が回って来るものなのだ」
しかし、飛鳥は事件の犯行が可能なのは、ただ一人だと気付いてしまう。
なぜそんなことをしたのかはどうだっていいのだ。ただ私を欺いたのがやりきれなかった。(中略)首にも背にも雪は降りしきっている。白い中にまみれているという意識だけがあった。白い服を着せて白い記憶を創って白い心に塗りかえて白い世界へ赴かせてほしい。真実を知ることがかならずしも必要ではないと今初めてわかった。
飛鳥は、真実を心に秘めた。しかし、ある日奈津子から崩壊した本岡家のことを聞かされ、言い争った末に犯人の名前は決して言わないと告げてしまう。そして再度、刑事がやって来た。飛鳥は口を開くのか。祐也たち周囲の人々の思いとは。祐也への気持ちが恋心だと自覚した飛鳥は…。
著者は10年ほどの執筆活動を経て筆を擱き、多くのファンから新作を待ち望まれたまま、平成17(2005)年の雪の降る時期に、50代半ばの若さで他界した。単行本のあとがきには、こう記されている。心というのは自在に、歴史のかなたへ、未来のかなたへ、赴くことができる、書いた自分は、原稿用紙の中で飛鳥とともに生きた。読んだ人が、その時間を飛鳥とともに生きてもらえれば幸せだ―。
190万都市となった現在も、札幌市は日本国内外から数多くの観光客を惹きつける。街の中心部から西へ伸びるオアシス大通公園、その西3丁目にあるベンチにも幾多の人が座る。ここを通りかかるたびに、寒さに凍える飛鳥の姿はないかと、ふと思う。