小説家の筆が描いたまち。書かれた時代と現在。土地の風土と作家の視座。
「名作」の舞台は、その地を歩く者の眼前に何かを立ちのぼらせるのだろうか。
*この連載は、作家の合田一道氏が主宰するノンフィクション作家養成教室「一道塾」(道新文化センター)が担当しています。
第16回

石狩平野(船山馨)

あらすじ

明治14(1881)年の春、13歳の開拓移民の娘、高岡鶴代は、手宮の桟橋で餅売りをして家計を助けていた。開拓使の小書記官、伊住通直一家が東京から赴任してきた日、伊住の息子次郎と出会い、次郎の育ちの良い優しさに衝撃をうけ、忘れることができなくなった。小樽の大火を機に、鶴代の両親は札幌の円山村に入植することになり、鶴代も伊住家に奉公に出ることとなる。

再生の地、ふるさと札幌

山崎由紀子/一道塾塾生

鶴代の熱心な働きぶりは、伊住家の人々に気にいられた。次郎に寄せる気持ちは日毎に募ってゆき、次郎も鶴代に好意を持つ。しかし、高級官僚と貧しい農民の娘という身分の違いは、乗り越えることのできない壁であった。
開拓使官有物払下げ事件に関連して、黒田清隆長官を非難した伊住は、開拓使を追われる。没落した伊住家から暇を出された鶴代は、次郎の幸福を願い、そして次郎を忘れるために、たった一度、時を共に過ごす。

鶴代は怒っているのでも、すねているのでもなかった。彼女の愛情は、ある意味で一方的であった。与えるばかりで、受け取ることを予期していない。あるいは断念してしまっている、まったくの献身であり、無償の行為であった。深く、広く、まじりけがなかった。

逃げるようにして身を引いた鶴代は、次郎の子供、明子を生む。鶴代と次郎の関係を承知の上で、壮太は鶴代と結婚する。明子を育て、一人息子の壮太郎も生まれた。明子は女学校を卒業する寸前、大通公園の雪の上で犯されて、雪子を出産する。下宿屋をしていた鶴代は自分の子供として、雪子を育てる。
東京で幸せな家庭を築いていた明子は、関東大震災で亡くなった。そして、日中戦争から太平洋戦争へと時代は進む中で、鶴代の周りの人々は次々と死んでゆく。東京の空襲で雪子も死ぬ。雪子の子供、和子10歳と真人6歳の二人の子供だけが、鶴代に残された。

「三人で北海道へ帰るのさ。札幌ってところはね、真人のお父ちゃんやお母ちゃんが育ったところなんだよ。これからは、お前たち、和子も真人もそこで、お父ちゃんやお母ちゃんと同じように育つのさ。おばあちゃんも、お前たちと一緒に、もういっぺん出直しだ」 

鶴代は、次郎を知り、壮太と結ばれて壮太郎を授かり、明子を育て、明子の子供の雪子や直記や小鶴を育ててきた、長い年月を思い眩暈がしそうだった。そして、今は誰ひとりとしてこの世にはいない。だが、明治・大正・昭和と激動の時代を生き抜いてきた77歳の鶴代は、過酷な運命に負けなかった。幼い和子と真人の二人を連れて、故郷である北海道札幌へ帰ってゆく。

船山馨生誕地(札幌市中央区大通西8丁目) 祖母が下宿屋を営んでいた。

『石狩平野』は3000枚にもなる原稿で、上下二巻からなる船山馨の大作である。上巻は明治の、鶴代を取り巻く沢山の生命が生まれた時代を、下巻は鶴代の縁の生命が失われてゆく、大正・昭和の戦争の時代を描いている。鶴代は、船山の祖母がモデルであり、鶴代の強く生きる姿は祖母に重なる。

船山の人生は不遇の連続であった。船山は札幌の大通西8丁目の、祖母が営む素人下宿屋で生まれた。父は札幌農学校の学生で下宿人であった。船山は庶子であり、父親とは生涯に一度しか会っていない。16歳の母は姉とされ、両親の愛情を知らずに祖母に育てられた。子供の頃から生活費を稼ぐために、唐黍を焼いて売った。札幌二中時代に、キリスト教、文学、マルクス主義と出会い、生きてゆくための精神的支柱を見出した。一年上の彫刻家、佐藤忠良とは生涯にわたる友人であった。生まれ育った街、人に出会い人を憎んだ街、船山は故郷札幌をこよなく愛した。
『石狩平野』の舞台は札幌であり、最後に主人公鶴代が帰るのも、札幌である。札幌は、石狩平野開墾の始まりの地である。

三吉神社(札幌市中央区南1条西8丁目) 船山家はこの神社の裏手の借家にも住んだ。境内は船山少年の遊び場であった。


船山馨(ふなやま・かおる)

大正3(1914)年、札幌市で生まれる。札幌二中(現西高)卒業。授業料が払えずに、早稲田高等学院を一学期で退学。その後、明治大学も退学する。北海タイムス(後の北海道新聞)に入社し、東京勤務となり文学活動を始める。太宰治の突然の死で被さってきた執筆の激務から、ヒロポンを常用する。尊敬する高見順に厳しく戒められて、ヒロポンを断つ。『石狩平野』がベストセラーとなり、小説新潮賞を受賞。船山は自身のテーマである「罪と復活」を果たした。糖尿病、脳内出血と病に蝕まれてゆき、昭和56(1981)年8月5日死亡。同日夜、おしどり夫婦といわれた妻春子も、狭心症で急逝する。
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