生と性に光をあてた人間賛歌
その場所には今は何もない。整地されたホテルの跡は、草が伸びているだけだ。釧路市から標茶町方向へ車で15分ほど走ったところに、かつて本物のホテルローヤルがあった。目の前には釧路湿原が広がる。桜木紫乃はそのホテルローヤルの経営者の娘であった。高校時代はそのホテル内に自宅があり、帰宅後は清掃作業にあたっていたという。多くの男女を垣間見てきた自分の体験を基に、桜木は物語を紡いでいく。
長く浮遊していた心の、着地点が見えた。すっと右足が前にでる。野島はみどりの窓口へ行き、釧路行きの乗車券を二枚買った。一枚をまりあに手渡す。
「せんせぇ」は道南の木古内町の高校教師・野島と教え子の高校2年生・まりあの物語である。単身赴任中の野島は、札幌にある自宅へ帰省するためJRに乗った。しかし、妻は20年にも渡って不倫を続けていた。悶々とする中、列車内でまりあと出会う。そのまりあ、実は両親に捨てられていた。母が男性と駆け落ちし、父も多額の借金のため、家を飛び出してしまった。まりあは夜の仕事に就こうと列車に乗り、結局、野島に着いてきてしまった。
札幌で野島が見たものは、妻が不倫相手を自宅に招き入れる瞬間だった。まりあを毛嫌いしていた野島だったが、「捨てられた」二人の気持ちは同じであることを確信した。
その後、二人は釧路に向かい、ホテルローヤルで心中することになる。しかし、札幌駅を出発する二人の足取りは軽い。
うとうとし始めたミコの目に、再びちいさな灯りが近づいてきた。微かに聞こえるのは自分の名前だ。正太郎が呼んでいる。西に消えたはずの星が再び天頂で瞬いているのが見えた。星に向かって叫んだ。「お父ちゃんー」
「星を見ていた」はホテルローヤルの清掃員・ミコの物語である。早朝から深夜まで、もくもくと働く。いつも笑顔を絶やさず、人に恨まれることもない。漁師だった10歳年下の夫・正太郎は、10年間働きに出ていない。3人の子供がいるが、連絡があるのは22歳の次男・次郎だけである。札幌で左官職人に弟子入りしたと聞いていた。手紙に3万円が同封されていたこともあり、仲間の清掃員の涙を誘うこともあった。
そんな「孝行息子」が暴力団抗争の死体遺棄事件で逮捕されたことがわかった。実は中学卒業後、すぐに極道の世界に入っていたのだ。それでもホテルの仲間たちは皆、優しく「明日もちゃんときてよね」と言ってくれた。
自宅への帰り道、ミコはなぜか山の中に入っていく。林の中で、木の株に腰を降ろし、じっと星空を見続けていた。寒さを感じなくなり、眠気が襲ってきた。その時、助けに来てくれたのが、夫の正太郎だった。ミコに生きる気力が戻った瞬間だった。
人のよさそうな目元の女に礼を言って、通路の客をかきわける。二階の窓から父親を見下ろす息子を、別れだけを欲している女を、大吉のことを吐き気がするほど嫌いだと言った義父を、かきわけ走る。
「ギフト」はホテルローヤルを開業する大吉の物語である。看板屋の大吉はうまい話に乗せられて、ラブホテル建設を決める。妻は小学生の息子と一緒に実家に帰ってしまう。帰ってきてもらおうと、土下座をする大吉に対し、義父は「きみを見ているとね、僕はいつも反吐が出そうだった」と言ってサンダルで蹴り上げた。
大吉の支えは、愛人のるり子だけだった。そんなるり子が妊娠してしまった。つわりに苦しむるり子のために、大吉はデパートの果物売り場へ急ぐ。豪華な箱には「ローヤルみかん」と書かれていた。これがホテルローヤルの由来であった。
過去を捨て、るり子とホテルローヤルへと歩みだした大吉。そこには明日への希望が満ち溢れていた。
いずれの作品も、絶望的な状況に追い込まれた人ばかりが出てくる。それでも、「生」と「性」がある限り、人は光り輝く。ホテルローヤルは、その一瞬の光をとらえた人間賛歌なのだ。