世界停電 その時あなたは
“世界停電”。そんな絵空事のようなことが起きないという可能性はゼロではない。それは太陽のご機嫌次第だ。その機嫌を伺えるのがオーロラだ。オーロラは、太陽からの風が地球のバリアである磁気圏とぶつかることで、北極圏・南極圏の上空で発生する。太陽の風が桁違いに大きくなると、地球の磁気圏が大きく乱れる「磁気嵐」という現象が起き、広範囲でオーロラが見られるようになる。磁気圏が元の形を取り戻そうとする時、強力な誘導電流が発生して、世界中の変電設備を破壊してしまうこともありうるのだ。
カナダのケベック州では1989年に、同じようなことが実際に起きている。600万世帯が停電となり、完全復旧までには9か月も要した。この時はアメリカのフロリダ州でもオーロラが観測されたという。
「わからん」。赤井さんは魅入られたように空を見つめながら、つぶやいた。
「三十年以上漁師をやっているけど、こんなのは初めてだ」。夜空の黒と赤が混ざり、真紅と呼んでいいような色になっている。
斜里町ウトロ。目の前には青いオホーツク海が広がる。空もどこまでも青い。眩しいほどの青さが世界自然遺産・知床の夏だ。
その知床が赤に染まった。香山が赤い空を見たのはサケ漁の船に乗せてもらった深夜だった。赤い空の正体はオーロラで、その日以来、世界中は停電し、「中世」の時代にさかのぼってしまう。世界停電はまさに科学技術の万能の世の中があだとなった「災害」だった。交通網も通信網も遮断され、香山は斜里町に留まらざるを得なくなった。
「あの、まさかそれ」。「うん、捨ててる」。目も合わせずに、排水溝にドボドボと吸い込まれる牛乳をじっと見つめながら、北峰さんが言った。
香山が見た牧場とは、電気で動く“工場”だった。ふだんは、ミルカーという機械を使って、ほぼ自動で朝夕の搾乳を済ませていた。しかし、停電後は乳を絞っても加工場は稼働していないし、牛乳を冷蔵する設備も動かない。手作業での乳絞りは1頭あたり毎日30分かかる。それを35頭。牛の乳房炎を防ぐためにも、毎日、牧場全体で1トンの乳を搾り、捨てていくという作業を繰り返さなければならなかった。
はるかさんが地図の斜里町を中心に指で円を描いていく。その指が南西に差し掛かった時、そこには大きな湖があった。「『・・・屈斜路湖!・・・』」二人、同時に叫んだ。
斜里町役場の裏手、静かな公園の中を歩くと大きな慰霊碑に出合う。津軽藩士殉難慰霊碑。斜里町には1807年、北方警備のため津軽藩士が派遣された。しかし、厳しい冬の寒さと栄養不足のため、100人余りのうち72人が命を落とした。この悲劇が生かされることになった。
地元の新聞社で記者となった香山は、多くの高齢者が冬を乗り切れるのか不安を抱えていることを知る。そんな時、生存した津軽藩士が残した日記が役に立った。アイヌの人たちは冬の間、7里離れた場所で過ごすという記述を見つけたのだ。パートナーとなった関はるかと地図で確認すると、それは28キロほど離れた屈斜路湖のことだった。屈斜路湖の川湯温泉は自噴式で、電気を必要としない。お年寄りを川湯温泉に移動させるという大掛かりな計画が実現することになる。
そして、香山にとって初めての冬、はるかと一緒に車に乗っていた際、暴風雪で立ち往生し、命の危機に直面する。
「一緒に、生きるの。一秒でも長く、一緒に!そうでないと、意味がない!」。彼女の腕の中、衝撃を受けた。今までずっと、誰かの役に立たなくては、自分のやれることを見つけなくては、そう思って生きてきた。
香山は助けを呼ぼうと外に出ようとしたが、はるかに止められた。少しでも一緒に生きようと望んだのだった。意識が遠のく頃、2人は救助された。復活したSNSとアメリカが総力を上げて打ち上げたGPS衛星によって、スマートフォンの位置情報サービスが機能してくれたのだ。2人を救ったのは結局、科学技術だった。
「赤いオーロラの街で」は、科学万能の世の中を決して否定するものではない。大事なことは、決してあきらめずに生きる気持ちを持つこと。その気持ちがあれば、人間とはどんな困難にも打ち勝つ力が得られることを、この小説は私たちに示唆している。