たどり着いた先に
道南の函館市は、海に囲まれた港町。かつては津軽海峡を渡る青函連絡船が就航していた。東京の生活を断念した李恵は、帰省の前に立ち寄った七重浜で「マリー」ということばを聞く。実家での夕餉、マリーとは昭和29年の洞爺丸台風のことだと言った母美月が心の奥底に秘めた思いを語る。
「その人がいなくなったのは、あの台風の年より、二年も前のことだった。(中略)洞爺丸ととともに消えてしまった人だという気がして」
戦後復興の昭和20年代、美月は保母になり、保育所の子や近所の子どもたちにできる限りの世話をした。やさしくありたい、社会の一員として認められたいという前向きさや不安な気持ちを函館山で出会った仙台市の東北大生大橋藤一郎と共有した。だが、交際が3年経って大橋が突然幻のように消え、2年後美月は見合い結婚した。
心残りはその消息を知ることだけという母に渡された大橋からの古い手紙の束。李恵は、数日かけて旧かな遣いの掠れた文字を読み進める。
志を分かち合っていたはずの男の裏切りにあったのだ。(中略)信じてきたものがすべて崩れていくように感じたのではなかったか。
李恵はそうだった。
「きっと探し出す。見つけてあげるよ(中略)」。
ついに、口にしてしまった。
判読できた仙台の友人を母娘で訪ね、実は許婚がいた旧家の長男大橋は、死亡認定されたと知る。一方で、よく似た男が大阪市のバーで働いていたとの噂を掴み、李恵は同級生の店で知り合った探偵業もする男古賀に相談する。大抵は憎しみに変わるそんな過去でも相手の事情を慮るお母さんはやさしいと話す古賀に李恵は心を開いてゆく。
古賀の情報網はバーのマスターを突き止め、李恵とふたりで大橋を探しに大阪へ行くから待っていてと衰弱する美月に伝える。
「お母さんはね、そろそろ病院に入ろうと思っている」(中略)
最後になって秘めてきた恋の話を分かち合えるなんて思ってもみなかった。(中略)硬く瞑った李恵の目尻に細かな皺が刻まれている。まだ柔らかな皺の中に、娘の涙が滲んでいくのが見えた。
大橋の写真を手に会ったマスターは、たぶんそうだと言った。仙台から来て湯原と名乗った男は、女に会うため函館に行くと出て行った。のちに届いたたくさんの断り書きが貼られたぼろぼろの郵便物には、洞爺丸で投函されたことを示す消印が押されていた。一所懸命働くつもりですので、何卒お店へ戻らせて下さい、と—。
心臓が音を立てて、激しく打ち続けていたが、それは母の鼓動のようにも聞こえた。(中略)お母さん、ついに見つけたよ。
あの台風の日、胸騒ぎがした美月は、嵐の夜が過ぎると逸るように原付バイクに乗り、地獄絵の浜に着くと必死に探した。横たわる無数の人影が、皆大橋に見えた。
最終章、昭和29年9月26日の大橋が足取りを語る。その夜、事故は起こった。
翌年、国鉄鉄道弘済会は街の早期の再建をと急ぎ函館に本格的な保育所を建設。新しい子どもたちのためにと身重の美月はOGとして周囲に花を植える手伝いにあたった。
同年台風海難者慰霊碑(洞爺丸慰霊碑)が七重浜に建立された。碑から臨む湾内は穏やかに凪ぎ、街には今もひとつひとつの人生の営みが息づいている。