土地租借をめぐる大国の陰謀
箱館滞在中のロシア人ユーリイ・ザレンスキイは、ロシア皇帝直属の秘密警察幹部だ。英米列強に対抗して窮地にある幕府を支援し、ロシアに頼らせながら本国の国益を追求し、成果をあげて帰国することが夢であった。
不凍港とその周辺の土地を租借するということでもよい。幕府(旧幕府軍)が戦争に敗れたとしても、条約は残る。
その条約を新政府にも認めさせればよい。それが「第3部」(ロシアの秘密警察組織)の描いたシナリオだった。
しかし、計画はうまく進まず、ユーリイは焦る。そこに旧知のプロシア商人リヒャルト・ガルトネルと弟のコンラート・ガルトネルが現れる。
明治元年(1868)10月頃、ユーリイはリヒャルトが旧幕府時代から亀田近郊に土地の貸付けを受け、農場経営をしていることを知り、この兄弟に接近する。
軍資金に不足をきたすであろう蝦夷島政権から、ロシアの資金援助のもと膨大な土地貸付けを受けさせようと考えたのだ。
ガルトネル兄弟は、蝦夷島政権が樹立される直前までこの地を支配していた明治新政府・箱館裁判所(のちの箱館府)の井上石見判事からも、土地貸付けの継続をとりつけ、しかも面積を千5百坪から7万坪に広げていた。その後、榎本武揚らの率いる大軍が蝦夷地全土を占領すると、箱館府の清水谷公考知事は青森に逃がれた。
ある日、蝦夷島政権軍事顧問のフランス軍人・ブリュネは、新政府軍との戦いを想定し、土方歳三らを伴い各地を検分する途中、七重村付近で立派な農場を見かけて道案内役の平山金十郎に聞く。
「あれは、どのような人が所有する農場なのか?」(中略)
「プロシァとかいう国の者でございます」
と金十郎が答えると、ブリュネと土方歳三は、思わず顔を見合わせた。2人は、「プロシァ」という言葉に反応したのだ。
一行は、農場敷地でリヒャルトと対応するロシア海軍士官の姿を目撃する。ブリュネと土方は、榎本政権の中島三郎助に対し、土地貸付け契約の継続に反対だと伝えるが、中島は目下、上部で交渉中だと答える。
ユーリイはガルトネル兄弟から、土地貸付けの面積を3百万坪に拡大、貸付け期間を99カ年にする方向で政権側と交渉すると聞いて喜ぶ。一方、この情報を知った遊軍隊(反蝦夷島政権ゲリラ組織)は、これを阻止しようと動き出す。
しかし、蝦夷島政権の箱館奉行・永井玄蕃とガルトネル兄弟間の交渉は、3百万坪の99カ年間貸付け、対価6万両という方向に向かう。幹部会議では、反対する土方・中島らと、賛成する大鳥圭介・永井らが対立するが、榎本が最終的に応諾を決定。双方の条約締結・6万両の受け渡しは、道南の川汲(かっくみ)付近で行うことに決まる。
土方は、密かに敵であるはずの遊軍隊メンバーと接触し、協力を決め、遊軍隊約50人と大砲2門、新式銃などを携行して川汲付近の安浦海岸で待機する。そこへ蝦夷島政権幹部と護衛たちが乗った船が到着。やや遅れて、リヒャルト、コンラート、ユーリイ、変装したロシア海軍兵士ら、それに金塊を乗せたプロシア船も着く。土方の指揮のもと、激しい戦闘が始まり、ついに遊軍隊の大砲が船に命中する。
これは夢だ。ひどい夢だ(中略)がくっとユーリイの体が崩れ落ちる。砲弾に直撃された後も、プロシァ船はそのまま航行を続けたが、弁天島から6百メートルほど離れたところで、機関が停止した。炎は勢いを増し、プロシァ船は火だるまとなって、少しずつ海に沈み始めた。
土方と遊軍隊は、金塊を乗せたプロシア船を沈め、ユーリイの遺体は見つからなかった。
戦闘が終わると、土方は淡々と五稜郭へ戻り、蝦夷島政権将兵とともに新政府軍と戦った末、一本木関門付近で銃弾に倒れる。一方、遊軍隊を指揮した斎藤順三郎も、弁天砲台の大砲破壊のかどで蝦夷島政権側将兵に捕まり斬首される。
「ガルトネル事件」(ガルトネル開墾条約事件」)は、プロシア人ガルトネル兄弟が、蝦夷島政権総裁の榎本武揚から、99カ年にわたり箱館付近の開墾地を借り受ける契約を結び、明治維新後、新政府が約6万ドルの賠償金を払ってようやく解約する、という経過をたどる。
この小説は、同事件など幾つかの史実を巧みに組み合わせながら、フィクションも交えて大胆なストーリーに仕立てあげた。この種の作品は他にも存在するが、最も秀逸でミステリー小説のような味わいを感じさせる。
函館の五稜郭タワーの上から五稜郭全景を見下ろしたとき、ここが激しい戦かいの場であったことはもちろんだが、多くのミステリー作品の舞台となったことも、よく理解できる気がした。