産炭地そして北海道の行く先
北海道の礎を築いたものの一つは、戦争と言って、間違いはないだろう。中でも栄えたのは産炭地である。石炭はまさに戦争遂行のエネルギー源であり、どこの炭鉱もフル稼働していた。終戦後も、エネルギーの主流が石油に代わるまで、産炭地は栄華を極めた。
本書の舞台となっている上空知町。架空の町だが、モデルは上砂川町である。訪ねてみると、かつての栄華をうかがわせるものは、ほとんどない。昭和27年には、人口3万2000人あまりがいたが、今は2700人ほどに過ぎない。屋根に積もった重そうな雪を支えている廃屋は、まさに上砂川町の今を表しているかのようだ。
「みんな知らないんだよ。威張っている大人たちはみんな嘘つきだ。日本は負ける。炭鉱は終わる。ここには誰もいなくなるんだ。何もかも、夢だったみたいにね」
タクトの声がこだました。けれど範夫は、ぴんとこなかった。
国民学校四年生の範夫がタクトと出会ったのは昭和16年。タクトは五年生で、南の方から来たと言うだけで、素性はわかっていなかった。この時代の炭鉱街には独特の階層社会が存在した。鉱山会社の社員と坑夫の住む場所は違っていて、それぞれの子どもたちの遊び場にも縄張りがあった。教師の息子である範夫はどこにでも行くことができたが、タクトは抗夫の住宅地にも堂々と入り、抗夫専用の風呂に入るなど、自由奔放な行動を取っていた。
掲示板に書かれていた「欲しがりません、勝つまでは!」のスローガンを「しかりません、勝つまでは!」と書き換えるなど、ウイットに富んだいたずらが受けて、子どもたちの人気者になっていった。そんなタクトが範夫にポツリと告げたのが、「日本が戦争に負けること、栄華を誇る炭鉱の町もなくなること」という信じられない予言だった。
翌日、校門前の掲示板のスローガンが派手に書き換えられていた。
『贅沢は敵だ!』
そこに、筆で大きく漢字が一つ、書き加えられていたのである。
『贅沢は素敵だ!』
それきり、タクトは姿を消した。
中学生になった範夫は、ある日、小学校の時の担任と出会う。担任は、タクトのことが気がかりで、独自に調べていた。その結果、中心街から少し離れたところにある鶉地区に、東京に嫁いだ女性が五年生の息子と一緒に里帰りしていたことがわかった。事情があって、すぐに東京に帰ってしまったが、女性の夫は大学で新兵器の開発に関わりながら、憲兵に逮捕され、獄中死したのだ。息子というのはタクトに間違いないと範夫は確信した。範夫はタクトから、かつて鶉のあたりに祖父が住み、あたり一帯の土地を所有していたことを聞いていたからだ。
鶉地区は上砂川町の中心部から1キロほど西に進んだところにある。上砂川町は産炭地となる前の明治32年、福井県鶉村からやって来た8人が入植したのが発祥である。大正3年の三井砂川炭鉱での採炭開始、昭和15年の採炭量年間160万トン記録、昭和24年の上砂川町誕生、昭和62年の閉山と、鶉地区は開拓期から現在までの上砂川を見つめてきた。
令和元年、米寿を過ぎた範夫は、上空知の町を訪ねる。そして、炭鉱王国が跡形もなくなった今、鶉だけが静かに生き残っていることを目にした。
上空知、北海道。この新世界の歴史は道半ば、見棄てるには瑞々しすぎる。
いにしえびとが、道をつけ、鍬を振るい、土地を拓いたのは、獲り尽くし、奪い尽くし、挙句にゴミ捨て場にするためではなかったはずだ。
この辺境という、北海道を。
タクト、きみならどうするだろう?
タクトは戦後、ドイツに渡り、音楽家として活躍していた。そのことを知った範夫は連絡を取ろうとしたが、タクトはすでに死去していた。
タクトの予言は見事に当たった。その予言は上空知だけでなく、北海道全体にも当てはまるのではないだろうか。アイヌから土地を奪ったのが、北海道開拓の始まりだ。その後、戦争や乱開発など、誰かの犠牲と引き換えに北海道は発展してきた。
80年以上も前のタクトの予言は、産炭地そして北海道の未来に、小さいながらも希望を託すものだった。