アメリカ人青年が体験する
不思議の国日本
ジェニファー・オン・マイマインド。わが心のジェニファー。日本から恋人に送る手紙は、いつもこの言葉から始まる。見たままの日本を手紙に書いて送ってほしいと恋人に頼まれ、携帯電話もPCも持たず、3週間の休暇を取って日本に向かうラリー。
秋景色の清水寺で着物姿のミステリアスな日本女性マコトに出会う。三十三間堂で「この仏像の中には必ず亡くなった人の顔がある」と言われ、見たこともない父と母の顔を探すが、見つからない。取り乱すラリーをマコトはなぐさめる。
バスルームを出て驚いた。見知らぬ女が立っていたのである。(中略)
「どしたの、ラリー」声を聴いてようやく、マコトだと気付いた。(中略)
「君はいつもキモノを着ていると思っていたんだけど」
「まさか。お稽古事のときと、お芝居と、お寺めぐりをするときぐらいよ」
大阪のウドン屋で思わずプロポーズしたラリーに、マコトは「その前にインドを見てきて」と言う。「すべてはジョークだよ」と言うとマコトは去っていった。
傷心のラリーは別府に行き、修行僧のようなアメリカ人に出会う。祖父母を敬愛しつつも父母への思いが断ち切れないラリー。20年も日本を放浪しているというその男に悩みを打ち明ける。
白濁した岩風呂に体を沈めると、僕はたちまち天然の一部分に変わった。(中略)
ああ、とろけていく。何もかもが。
あらゆる思考が奪われ、木や岩と同じになった僕は、やがておのれの存在すら忘れて、秋風に漂う雲となり、風になる。
男は「あなたの悩みは、すべてわたしが呑み込みました。さあ旅立つのです」とつぶやき、温泉に浸かったまま死んでしまう。男は全身を癌に蝕まれていた。
東京に戻ったラリーは、タイフーンの吹き荒れる夜、地下街で孤独な少年に出会い、そのママに築地や銀座を案内してもらう。しかし夫が海外出張から帰ってくると知るとママは、自分の故郷の釧路に行って丹頂鶴の舞を見てきて、と言い残して帰っていった。
釧路に着いたラリーは、ホテルで教えてもらったロバタの店に行く。薄暗い店内には、無口な店主夫婦と中年の夫婦、編み物をしながらビールを飲む孤独な老婆がいるだけだった。老婆が思いもよらずネイティブな英語でラリーに「クレイン・ダンスは見たかい」と聞く。
「湿原は広くて丹頂鶴は少ないよ。あたしが案内してやろう」
広大な湿原は6千年の間に海が後退してできたという。今から百年前、たった十数羽になった丹頂鶴を「不思議な人間」が保護し続け、鶴は1,400羽を算えるまでになった。
雪原のただなかのプラットホームに立ったとたん、一羽の丹頂鶴が目の前に舞い降り、古ぼけたログハウスからパイプをくわえた男が出てきた。日本人にしては、かなり大柄な初老の人物。二人はほとんど同時に質問をした。
「ダディ?」「ラリー?」
それから考えるまでもなく、またほとんど同時に、「イエス」と答えた。
父は1945年にアメリカ人の父親と日本人の母親の間に生まれたが、すぐに施設に引き取られたという。
ジェニー、君は父に会ったことがあったんだろうね。(中略)
僕の容姿には日本人的な部分がまるでないし、父も外見はまったくの日本人なのに、僕らはガイドのおばあさんが「ひとめ見てわかった」というくらい似ているらしい。(中略)
喧ましい鳴き声に振り返れば、夕陽に朱く染まった雪原のあちこちで、番の丹頂鶴が舞い踊っていた。
白と黒にきっぱりと塗り分けられた翼を拡げ、尻を振り、赤い冠を頂いた長い首を艶やかに絡ませて。
瞼に灼きつけたよ、ジェニー。君が夜ごと熱く語った、クレイン・ダンスを。
日本のことをほとんど知らずに旅するラリーとともに、外国人の目から見た日本が体験できる。ビジネスホテルの狭さに驚き、ウォシュレットに感動し、和食の量の少なさにお腹をすかせる。そんなラリーが旅の最後に出会うクレイン・ダンス(鶴の舞)と思いがけない人物。読んだ後に思わず旅に出たくなる一冊である。