クマさんとワカマッさんの
北海道2人旅
東京・新宿の高円寺の焼き鳥屋で、クマさんとワカマッさんは、次回作の映画の構想について話し合った。作品の内容は、終戦直前の農村で傷痍軍人の不条理を描いた反戦映画だ。話し合いの中で、クマさんは戦時中に室蘭で過ごした時、年齢不詳で「スッカンコ(大虎杖の北海道での名称)のバカ」と、近隣の子供達から嫌われていた男性のことを思い出し、ワカマッさんに北海道弁で語った。
「線路脇に背の高い葦が生えた茂みがあってさ、ちっちゃい掘立小屋が建ってたんだよ。そこにさ、いつも外套を着たオジサンがひとり棲んでたんだ。その外套が土ぼこりをたっぷり吸い込んで脇の下だけが元の生地のまま、真っ黒なんさぁ(中略)年がら年中ボタンが取れちまった外套を身体に荒縄で縛りつけてさ、髭は伸び放題なんだ。ボサボサの髪と区別がつかなくて、毛むくじゃらのなかにギョロ目と鼻が埋まった、おっかない顔なんさぁ」
この話に対してワカマッさんは、「スッカンコのバカ」は徴兵忌避のために精神障害者を装った男性のことだと指摘し、東北弁で「あの頃の村には、必ずひとりは惜しげもない男がいたんだよなぁ」と言った。
終戦後の冬のある日に、悪ガキ達に虐められたクマさんは、「スッカンコのバカ」に助けられた。子供ながらに殺されると思ったが、彼の対応は優しかった。その後、翌年の春に、人知れず姿を消した。
翌月、クマさんはワカマッさんからの映画出演依頼で長岡市に急遽駆けつけ、焼き鳥屋で話題にした、バカな男性の役を演じた。朱色の襦袢を着て長閑(のどか)な田園や棚田を歩く姿や、躑躅を食べるシーン、戦争終了を大声で叫ぶカット等を1日で撮り終えた。
映画は、『キャタピラー』(主演は寺島しのぶ、原作は江戸川乱歩の『芋虫』)として発表。2010(平成22)年に第60回ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞し、国内外で高い評価を受けた。そこで、ワカマッさんはクマさんを連れて、北海道へ新作映画のキャンペーンに行くことを決めた。
「オレが同行して舞台挨拶してサービスになるのかい」
「クマが心配する事ではない。生まれ育ったホッカイドーだろ」(中略)
キャンペーンの初日は十七歳で家出して以来、一度も戻っていなかった室蘭だという。こんな機会でもなければ、一生足を踏み入れなかっただろう。
2人は、新しい駅舎に変わった室蘭駅を見た。ワカマッさんは、ベンチでステッキに身を預けて俯き加減で、具合が悪そうだった。それでも、室蘭市市民会館での上映会は大盛況で、舞台挨拶、上映後のトーク等を無事に終えた。地元関係者の懇親会の後に、宿泊先の登別に向かった。
ワカマッさんは別々の部屋でなかったことに激怒したが、クマさんはなんとか宥め、2人は就寝した。就寝中のワカマッさんは、脳梗塞による後遺症で咳と血痰が酷く、その姿は「白っぽい大きな芋虫」のようであった。
翌日は、登別から特急で札幌を経由して、旭川へ行く日程。車内での2人は、通路を挟んで反対側に座り、お互いに喋らなかった。クマさんは車窓から室蘭の家並みやドンヨリした太平洋を眺めていた時、戦時中のことを思い出した。
頭の上から降ってくる大きな音に踏み潰されそうになった恐怖が甦ってくる。(中略)あとで、知ったことだが敗戦が濃厚になった頃、沖合から製鉄所や軍需工場を狙った艦砲射撃への警戒警報に、近所のヒトらは裏山の防空壕へ我先にと駆け込んだという。サイレンや砲弾の音は全く憶えていないが、橋の下の流れるでもない水際にのんびり歩く小さな鳥の三本指の足跡の列と、頭上の大人たちの足音はクッキリと憶えている。
特急は札幌駅に着いた。乗り換え時間を利用してホッキとイクラの駅弁を買った頃には、ワカマッさんの体調も回復。車内で空知地方の景色を眺めながら、ワカマッさんはホッキの弁当をうまそうに食べた。そして電車は、終点の旭川駅に到着。2人は、次の上映会場へと向かった。
ワカマッさんは、北海道旅行後も新作映画制作に取り組んでいたが、2012(平成24)年10月に新宿で交通事故に遭い、76歳で亡くなった。
クマさんは2021(令和3)年に、創作活動の場を山梨から奈良に移した。NHK室蘭放送局前に設置された鉄モニュメント「FURAI」は老朽化して、室蘭放送会館のロビーに、現物の一部とレプリカを展示している。
※表紙画像は、『花喰い』が収録されている『骨風』のもの