若者を見守る大学の学生寮
新入生歓迎の季節、啓太は大学や寮の多彩な活動を意欲的にこなしている。緑旺寮は、半年ごとに寮生の部屋の大移動を行い、3年生になる啓太は、今回も個人部屋を選んだ。共有スペースの板張りの床にゴザが敷かれ、思い思いに座り夕食を共にする「いただきます会」では、執行部の炊事係が腕を振るう「じっくり煮込んだポークシチュー」がおかわり自由だ。
入寮したての頃は、どこかの輪に入ろうと無理をしていたところもあったが、今はもう丸ごとそのままの自分でいられる。(中略)
「何杯目?」
早乙女に聞かれて、啓太は「二杯目」と答えた。
最低限のことしかしゃべらないと言われる副寮長の早乙女など、ここに集まる豊かな個性が共同生活をしている。けれど啓太はここが自分の居場所と思えずにいた。工学部の8割が大学院に進むというなか、今年中には、卒業後の進路も決めなければならない。
5月、双子の弟絢太から「書き置きを残し、母さんがいなくなった」と電話が来る。実家住まいの絢太、父親もその理由に心当たりはない。夏休みに入ると帰省して男3人で話をした啓太は、母親の気持ちに沿い柔軟な意見の絢太を尊敬する。高校3年時の生徒会のLINEグループに幼なじみの真帆もいて、地元の親しい友人に母親のことは知れている。再会した皆に心配されるが、それぞれが各々の場所で根を張りつつあるのがわかった。
大学に戻った啓太がアルバイトを終えて帰ると、唯一会えなかった寿が前触れもなく寮にいて、他の学生たちと打ち解けている。この日、寿は啓太の部屋に泊まった。
「また来なよ」
見送りに出た早乙女が言うと、寿はおう、とうなずいた。寿と早乙女が知り合えたことが、啓太にはなぜかうれしかった。
「それにしても壮観だな」
緑旺寮の、外壁を覆う緑のツタのことだ。
寿が目を見張る。北の大地は短い夏真っ盛り、緑色の覆いには生命力があふれる。早乙女と寿は似ている、と啓太は思っていた。寿の周りには、いつだって人が寄って来る。これからもたくさんの影響を与えてくれるであろう友を見送った。
いちょう並木が黄色く色づく秋、啓太は引率役をしている一般向けのキャンパスツアーの参加者の中に、母親を見つける。啓太の連絡で駆け付けた父親と両親揃って実家へ戻る。啓太は大学院へ進学したいとふたりに伝えた。今回のことで、昔から母の生き方が好きではないとはっきり意識し、これを早乙女に話すと、親を好きになれず悩むのはまっとうだと言われる。自分が抱くどんな気持も正解なんだと思えた啓太は随分気が楽になった。
新年最初の授業の日、LINEメンバーの百瀬から、寿が自ら死を選んだと連絡を受ける。葬儀のため帰った実家は、単身赴任を選択した父親は不在だが、以前と変わらぬ様子に思えた。大切な友人を亡くし、悔しさと悲しみに暮れる啓太に、母も絢太もやさしかった。
「これ、おにぎり、お腹空いたら食べてね」
バンダナに包んだおにぎりを渡された。
「ありがとう。じゃあ、行ってきます」
いつまでも見送って手を振る母を振り返り、啓太は「どうか元気でいてください」
と祈った。
(中略)去年、寿に会えたことは、もしかしたら母のおかげかもしれなかった。
啓太は、寿が寮まで会いに来てくれたのは、母親の失踪を心配してのことだと思っていた。大学に戻ると、完全な雪景色である。啓太は早乙女に寿に起こったことを告げた。
小説のモデル、北海道大学の広大な敷地内にある学生自治の「恵迪寮」は、正門を抜け北西方向へ2km以上先にある。木立の側の現在三代目となる建物に、若者の息吹を感じた。