犯人が消せなかった害獣の臭い
江別署に、対雁のマンションで水産加工会社の女社長柴崎昌子が、刃物で胸を刺されて死んでいるという通報があった。検視の結果、創傷は錐状の鋭器による心臓部刺創で、死後5~6時間経過。凶器は傷の状態から、漁獲用のヤス状鋭器と判明した。犯行現場とされる8畳の洋室には、ペルシャ絨毯が敷かれその上に海豹(アザラシ)と海驢(アシカ)の毛皮が置かれていた。警察は顔見知りの犯行を疑い、捜査を進めた。その結果、1人の男性が捜査線上に浮上した。
その男は、犯行現場の近くでサケの密漁をしていた鵜木弥吉で、3年前に柴崎の会社に勤務していた過去があり、ヤス状の凶器を所持していた。さらに鵜木はサケの禁漁域で密漁していたところをサケマス研究所員に見つかり、逆に開き直って錐状の凶器で脅した。江別署は有力な容疑者として、鵜木を任意で事情聴取した。
「柴崎社長の工場では三カ月くらいしか働かなかった。給料が安いうえに酷き使うので、いやけがさしてやめたんだ。あの女はひどいケチで、勤務中、便所へ行った時間まで給料から差し引くんだ。(中略)あんな女のことなんかおもいだしたくもないね。(中略)三年間も怨みをためておくほど、憎んではいないよ」
凶器と思われる三股のヤスから人血の反応は検出できなかったが、被害者の傷口がほぼ符合した。そのため、必死に抗弁をする鵜木に、捜査本部は疑いを解かなかった。
だが、捜査は難航した。そんな時に1人の刑事が、殺害現場の近くでサケマス研究所が行っていたサケの遡上実験に注目した。実験は石狩川の支流であるカムイチェプ川A沢とB沢において、A沢を遡ってきた特定数のサケを捕獲し、嗅覚をはじめとする感覚神経を切断したサケと未処理のサケを、AB両沢の合流点よりはるか下流でもう一度放流、遡行させて回帰状況を調べた。結果は、元川のA沢に戻ってきたのは処理済サケばかりで、未処理のものがB沢へ行ってしまった。実験結果に関心を持った刑事は、不可解な実験結果に注目。捜査会議で、周囲を納得させる推理をした。
「犯人は、犯行後その忌避物質のにおいを身につけていったのではないのか。もし、犯人が、サケの上流にいたら、サケは寄り付かないでしょう」
「その犯人が鵜木ではないのですか」
「鵜木が犯人なら、その前日、つまり犯行日の翌日の六日にもトロに行ったのだから、より激しく敬遠されたはずです。しかし、その日はサケがまったく敬遠しなかった」
「すると鵜木以外の人間が、A沢にいなければならないが」
「いたでしょう」
容疑者は、A沢にいたサケマス研究所員に絞られた。警察が調べた結果、犯行日翌日のみA沢の実験ポイントにいた所員が1人いた。その人物は友部正平で、実験中は環境条件を一定にするために担当や持ち場を変えなかったが、犯行日は欠勤した。彼の詳細な身辺調査をしたところ、自宅すぐ隣は被害者の会社の倉庫であった。さらに、聞き込みの結果、被害者に魚肉の悪臭に関する苦情を何度も訴えたが、無視されたと判明。早速、友部を江別署に呼んで事情聴取した。
捜査員はおしぼりを手渡し、軽い雑談で緊張を解いた。友部は犯行の日は腹痛で自宅にいたと主張し、悪臭のことでは柴崎を恨んでいた。捜査員は事件の確信について触れる質問をしていくうちに、友部は動揺した。そして、アザラシやアシカのいるところへ行ったのかと質問した。
「そ、そんな馬鹿な! 私がアザラシやアシカのにおいをつけていたと立証できるのか」
追いつめられた友部は、最後の砦に拠った。
――アザラシとアシカの毛皮を水に浸して、そのにおいの本体を抽出すると、L・セリンというアミノ酸の一種であることがわかりました。もしあなたの体からL・セリンが証明されたら、あなたはアザラシとアシカに触ったことになります――
友部の使用したおしぼりは、ガスクロマトグラフィーにかけられ、L・セリンが検出された。友部は被害者を殺害後に体を洗って、害獣の臭いを完全に消すことができたと思っていたが、サケが800億倍にも薄めた水にも反応する特性についてまで、考えが及ばなかった。
この作品は、『小説現代』1976(昭和51)年10月号に発表。作品発表当時の石狩川は、環境悪化に伴いサケの遡上が激減したが、平成後半になってから回復。石狩川流域でサケの遡上が確認できるのは、8月から12月である。