忘れてはいけない色丹島と樺太の悲劇
瀬能純平は弟寛太、父辰夫、祖父源三の4人で色丹島に住んでいた。島は面積247.7km2、終戦当時の人口は1038人。戦時中の島は平穏であった。しかし新学期が始まる9月2日、平和な島が様変わりした。
ソ連軍が島を占領した。兵士達は授業中の学校の中に入りこみ、生徒達を震え上がらせた。純平の自宅で貴重品はすべて捕られ、母屋が占拠された。この日は、叔父の英夫が戦地から帰還。その夜、英夫は根室に夜逃げの相談をしたが、父の拒絶で断念した。
数日後、母屋に3人のソ連兵親子が入ってきた。純平と寛太は同世代の少女ターニャと仲良くなり、純平はターニャに恋心を抱くまでになった。
翌年の夏、兄弟とターニャは山の洞窟に行き、兄弟の担任である佐和子先生と父との密会の様子を偶然目撃した。この時2人は、暁部隊(戦時下の色丹島に駐留していた守備隊)の備蓄食料を、島民に配布する段取りをしていた。数日後、純平の父が逮捕された。純平はターニャが彼女の父に洞窟での出来事を密告したために、自分の父が捕まったと考えた。このことでターニャを問い詰め、喧嘩別れした。
1947(昭和22)年夏、全島民の本土への強制帰還命令が出た。移送船は択捉、国後、歯舞と回り、斜古丹湾に到着。全島民が島を去る日、祖父は子供達のことを佐和子先生に託し、自分1人で島に残り、日本人の全島民と別れた。
「さようなら、じいちゃん……」
純平は心に呟いた。(中略)
さようなら、ぼくらの故郷。さようなら、ぼくのターニャ。さようなら、ロシアの人たち。
純平も寛太も、大きく手を挙げて、叫んだ。
「ダスヴィダーニャ!」
北海道のどこかに到着すると思われた船は、ソ連に編入された樺太の真岡(現ホルムスク)に到着。
船から降りた島民たちは全員、各地の収容所に移送された。収容所は衛生環境が悪く、寛太は体調を崩し寝込んだ。ある日、英夫はソ連兵から、辰夫の収容先と本土への引揚情報を聞き出した。その知らせに寛太は、純平に思いもよらぬ提案をした。
「お兄ちゃん、ぼく、お父さんに会いに行く」
「えっ、おまえ……」(中略)
行くしかないか……。
終点の久春内までは、あの貨物列車に忍び込めばなんとか行ける。そこから先は……わからない。三十キロ先か、五十キロ先か、あるいは遥かに遠い恵須取までか。でも、とにかくここから抜け出せる。
兄弟は深夜、駅に止まっていた貨物列車に飛乗った。2人のいないことに気付いた英夫と佐和子先生は、オート三輪を借りて2人を追い掛けた。停車した駅周辺で、兄弟を見つけた英夫は断念するように促した。だが兄弟は父に会いたい決意が固いため、4人で父に会いに行くことを決めた。
4人は森の中にあるトーチカで休んでいた時に、ソ連兵に見つかった。英夫が兵士の囮になっている間に、兄弟と佐和子は逃走。3人は、朝鮮人集落のオモニ(ハングル語で母親の意味)に助けられた。オモニは収容所関係者に友人がおり、密かに父へ伝言を託してくれた。そしてヨールカ祭(ロシアの新年を祝う祭)の深夜に3人は、鉄条網越しに父と面会できた。対面を終えて戻ろうとした時、監視兵に見つかり捕まった。
翌日の朝、3人は帰還船での乗船許可が出て釈放され、トラックで真岡港まで移送された。その最中、寛太は車の中で息絶えた。乗船の順番待ちをしている時、英夫がやって来た。英夫は寛太の死を確認すると、死体は船に乗せられないので、純平に寛太の生存を装うために必死に語りかけるよう促した。
「寛太……寛太、帰れるぞ。日本に帰るんだ」(中略)
「どこまでも行ける緑色の切符がある。寛太、ほら。銀河鉄道の切符だ。広い宇宙をどこまでも、どこまでも、どこまでも行ける魔法の切符だ!
ぼくはジョバンニ、寛太はカムパネルラだ!どこまでも、一緒に行くんだ!」
本作品は、元千島歯舞諸島居住者連盟理事の得能宏(とくのう・ひろし)の体験談が元になっている。主人公純平のモデルは得能である。2014(平成26)年、アニメ映画として公開された。
色丹島は日ソ共同宣言、川奈首脳会談で過去に2度、領土問題が解決がすると思われたが、返還に至らなかった。令和の現在、プーチン大統領は日本への返還を拒否する姿勢を強めており、北方領土交渉は暗礁に乗り上げたままだ。
2022(令和4)年2月24日、ロシアはウクライナに侵攻。北方四島及び樺太の引揚者は、かつての自分達の悲劇を重ね合わせたに違いない。