ここにいる、箱館戦争の兵士たち。

恒吉休右衛門・半兵衛 遺品

写真提供/市立函館博物館

写真提供/市立函館博物館

明治新政府軍の軍人恒吉休右衛門の軍服と、休右衛門が兄弟と撮ったと思われる写真。

恒吉休右衛門は薩摩藩兵具小隊長で、箱館戦争最終盤の箱館総攻撃(新暦6月20日)の桔梗野台場の戦いで負傷し、戦死している。

濃紺の制服は西洋スタイルの詰襟で、袖口と襟に赤線が入り、胸にはポケットがある。前身ごろを閉じるのは4つのリボン。右脇には大きな弾痕がある。これが致命傷になったのだろうか。

写真は箱館に渡る前に東京で写された出征写真。残念ながらどちらが兄か、あるいは休右衛門かはわかっていない。こちらもズボンと上着の洋装だが、上着にはボタンがあって、遺品のものとはちがうようだ。箱館戦争の戦場にいた兵士の固有名と写真、そして遺品が揃っているケースはきわめて稀だ。

新政府軍の黒田清隆らをのぞけば、榎本武揚や土方歳三、中島三郎助など、箱館戦争を戦った軍人たちの名前で一般に知られているのは、もっぱら旧幕府軍のごく一部の人物にすぎない。まして新政府軍の軍人たちで、命をかけて大儀に殉じた人々のことを多くの人はほとんど知らない。日本が近代国家への道を駆け上がろうと内戦を繰り返し煩悶した、わずか147年前。両軍合わせて数千名の兵士がこのまちで戦ったことの意味へのリアルな問いを、これらの遺品が投げかけている。

谷口雅春-text