真狩村で西洋野菜を作る〜5代目農家の挑戦

農業のやり方はひとつじゃない!

「蝦夷富士」とも呼ばれる独立峰・羊蹄山が背後にそびえる三野さんの畑

リーキ、アロマレッド、ビーツ、ベルギーエシャロット、セロリラブ…。真狩村に珍しい西洋野菜をつくる生産者がいると聞いて訪ねてみた。三野農園の三野伸治さん。真狩といえば、ゆり根やじゃがいもが特産品のはず。彼はなぜ西洋野菜を手掛けるようになったのか−−。
井上由美-text 黒瀬ミチオ-photo

マッカリーナから始まったリーキづくり

きっかけは、1997(平成9)年、真狩村にオーベルジュ「マッカリーナ」ができたことだった。オーベルジュとは、宿泊施設つきのレストラン。地元の野菜を使いたいという料理人の希望と農産物の付加価値アップを目指す村役場の意向が一致し、それに賛同した数軒の農家がリーキ(西洋ねぎ)の栽培を始めたという。三野伸治さんの父親も、いも、ビート、豆など畑作物を栽培しながら、高収益の野菜づくりを目指してリーキ栽培に挑戦した一人だった。

1978年生まれの三野さんは当時、北海道立農業大学校(本別町)の学生。卒業後、20歳で実家に戻り父親の手伝いをしていたが「マイナーな野菜はつくっても売り先がない」「たいした金にならない」と父親がぼやくのを覚えている。
「僕はそのころは車が好きで、内心ドリフト競技のプロドライバーになりたいと考えてました。なのでタイヤと燃料代を稼ぐために家の手伝いをして、休みの日は十勝のサーキットに通うような日々だったんです」
三野さんが真剣に西洋野菜に取り組むようになるのは、もう少し先のことだ。

三野さんの父親が辛抱強く栽培を続けた西洋野菜リーキ。フランス語ではポワロー

野菜ソムリエのクチコミで知名度アップ

「結局、売り先が開拓できず、ほとんどの農家がリーキの栽培をやめるんですが、うちの親父はなぜか辛抱強くやり続けて、5〜6年経ったころかな、やっと安定して出荷できるようになりました」
リーキはフランス語ではポワローと呼ばれ、スープやグリル、グラタンや煮込み料理など、西洋料理には欠かせない食材。以前はベルギーやオランダからの輸入ものがほとんどだった。輸入ものは通年で入手できるのに、三野農園のリーキが供給できるのは9〜11月の収穫期のみ。それでも国産品を使ってみたいというシェフが見つかり、卸業者を通じて道内のホテルやレストランに販売するルートができつつあった。
「リーキがいけるなら、ほかもできるなと。親父が次にベルギーエシャロットの栽培を始め、その後、色つきの人参なども次々試してみて…。道の駅に持っていくと珍しがられるし、ブログで発信するとお客さんからメッセージが届くようになって、だんだんと野菜が面白いと感じるようになりました」

野菜に本腰を入れるようになったのには、2003(平成15)年に結婚した妻、愛さんの存在も大きかった。愛さんは札幌の出身。「農業と縁のないところで育って、こっちにお嫁に来たら、野菜がおいしいのにびっくりした」という。「もっと野菜に詳しくなりたいし、このおいしさをたくさんの人に知ってもらいたい」と日本野菜ソムリエ協会の講座に通い、中級クラスに当たる「野菜ソムリエプロ」の資格を取得。すると、講座で知り合った野菜ソムリエ仲間が、三野農園の西洋野菜を面白がり、あちこちへ紹介してくれるようになった。「野菜に興味のある人が大勢集まっているので、クチコミのネットワークで広まった」そうだ。

三野伸治さんと愛さん。倉庫は本州向けの出荷の準備中で大わらわ

本気出して西洋野菜を売ってみようか

順調に思えた三野農園の経営に、暗雲が立ちこめたのは2010(平成22)年4月。
父親が突然に倒れ65歳で他界したのだ。想像もしていない出来事でやむなく経営を引き継ぐことになった三野さんは「ちょっと本気出して西洋野菜を売ってみようと、いろんな新しいことに挑戦した」という。
人に誘われるまま、産地直販イベント「マルシェ・ジャポン」や、札幌の大通公園で開催される「オータムフェスト」などに出店。もの珍しさもあって取材が相次ぎ、あちこちのテレビやラジオに取り上げられるようになる。
加えて、そもそもの発端だったマッカリーナとの直接取り引きも始まった。それまで卸していた生産者が引退したため、三野農園に声がかかったのだ。マッカリーナの菅谷伸一シェフは自らも畑を持ち野菜をつくるので、栽培の技術に関して相談されることもしばしば。必要な野菜は自分がつくるから、マッカリーナに卸してると公表させてほしいと依頼し、三野農園のホームページで打ち出すと、全国の飲食店や八百屋へ顧客がさらに拡大。今では道外の市場関係者、卸業者、加工業者などが取り引きの7〜8割を占めるまでになった。

フェンネル、セロリラブ、ビーツ、サボイキャベツ…。三野さんの畑には珍しい野菜がいっぱい

作付けも販売もすべて手探りで

いま三野農園では年間で30品目、常時20品目を販売リストに揃え、全国からの注文に応じている。ごく一部一般野菜を農協に出荷しているものの、西洋野菜についてはすべて直接へ客先に発送している。
ふつうなら作物を農協に出荷して終わりのところ、受注、選果、箱詰め、発注伝票をつくって集金まで。三野さん夫婦と母親、2名のスタッフで行うので、収穫期は時間がいくらあっても足りない。早朝から夜中まで休日なしで働く。
「少しずつ品目を増やしてきたからこうなっているけど、これを一度リセットしてイチから始めるか、と聞かれたら、多分やらない」と三野さん。それだけ手間と時間がかかるから、好んでやってみようという人はほかにはいない。

ほかにはいないのだから、高い値段をつけて売ればいいのに、三野さんの野菜は一定価格。相場で上げたり下げたりもしていない。
「市場価格が高いときは直販するより市場に出した方が高く売れる場合もありますけど、逆に相場が安くなっていても同じ価格で買ってもらっていますから。信頼関係ですね」
こうした良心的なところも、三野農園が支持されている理由のひとつだろう。「悩みといえば、需要が読み切れないこと。自分が思ってるより売れてしまい、早々に在庫が底をついてしまうと悔しくて」と三野さん。飲食店側も一度メニューに載せたからには、素材を確保しなければならなくなる。それで、毎年需要を確認しながら作付け量を検討。時期をずらして出荷できるように種まきから調整。畑がぬかるんで機械が入らなくなる初冬には、一つ一つ手作業で収穫してまで顧客のニーズに応えている。

収穫された野菜は畑のすぐ横の作業場で選果、箱詰めされて全国へ届けられる

「食」を追求する人々が集う、真狩の地

周囲の生産者からは「変なやつ」と思われているんじゃないですかね、と笑う三野さん。農業の魅力を尋ねると「自由なところ」だと答える。
「大量に生産して農協に出荷してもいい。単品を極めて勝負してもいい。僕みたいに飲食店向けの野菜をつくる人がいてもいい。その人の性格にあったやり方ができるのがいいんじゃないですかね」
手間がかかって非効率。直販してるぶん品質に対する責任も重い。必ず売れる保証もない。それでも三野さんは意に介さない。
「いいものが穫れるとうれしいし、結局、好きなんでしょうね。真狩にはマッカリーナにしてもパン屋さんにしてもジャム屋さんにしても、食を追求する職人気質な人が多いんですよ」
それぞれが自分の持ち場で、自分の納得できる仕事をする。その人にしかできない役割に気付けた人は幸せだ。

「同じ羊蹄山の周りでも土には結構違いがあって、このあたりは水がたまらない、すごくいい土地なんです。特に根菜類が育ちやすい。どうしてここに根を下ろしたのか分からないですけど、先祖に感謝ですね」
羊蹄山の裾野に広がる後志南部では、稲作、畑作、野菜、果物、酪農、畜産と、多様な農業が営まれている。それを支えているのが、ミネラル豊富な羊蹄山の伏流水と、排水性のよい火山性の土壌、布団のように地表を覆って土が深く凍るのを防ぐ大量の雪。そして開拓期の先人から脈々と受け継がれてきた、農業者の絶え間ない努力だ。

三野農園
北海道虻田郡真狩村字加野326
WEBサイト
個人向けの直売はしていないが、収穫期の野菜は道の駅「真狩フラワーセンター」、札幌市中央区の「フーズバラエティすぎはら」などで購入できる。

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