北海道の気候風土をいかして、おいしいものを生産したり、
開拓期からの技をいまに伝えたり、世界に誇れるものを生み出したり、
道内各地を放浪して出会った名人たちに、その極意や生き方を聞いてみた。
【美術家】 

「造形は目的ではなく、伝えるための手段」

vol.16 
川上りえさん/石狩市
「人間性を拒絶するような金属の物質感と、その背景にある広大な時間の物語に惹かれる」と、美術家の川上りえさん。造形作家と紹介されるのを拒むのは、アート作品としてカタチを作ることが、自分の目的ではないと考えるからだ。この世になぜ、金属が存在するのか。哲学者のように問い続けるアーティストの創作現場を見たくて、石狩にあるスタジオを訪れることにした。
矢島あづさ-text 伊田行孝-photo

この世になぜ、金属が存在するのか

札幌駅のアートボックスで、川上さんの作品「CLOUD ROCK(くもいわ)」を見たとき、大地の岩を金属で表現しながらも、その素材に抱いていたイメージとは真逆の透明感、空が見えるような浮遊感、蜘蛛の糸のような繊細さを感じた。どんな人が、何に刺激を受けて、こんなアートを生み出すようになったのか。俄然、興味が湧いた。

JRタワー東コンコース1階アートボックスに展示されていた作品「CLOUD ROCK(くもいわ)」(撮影:小室治夫)

平面のスチール板が、どんな立体作品へと変貌していくのか。スタジオ内はまるで工場、男の秘密基地のようでもある

川上さんのスタジオがあるのは、石狩の高岡地区。石狩で最も早い時期に開拓農民が入植した地で、広大な農地に囲まれた小さな雑木林のある窪地に建っている。「基本的に孤独が好きなので、作品を作る上で、ここの環境は理想的。ただ、吹雪くと危険地帯となる冬以外は。近所の農家の方に、何度救われたことか…」と、クールな印象の川上さんが笑みをこぼす。
スタジオの印象は、美術家の仕事場というよりも、鉄材の切断や熔接機材が揃った工場のようだ。必要であればフォークリフトを運転し、建築現場にあるような足場も組む。「もともと男勝りな性格なので、こういった機材を使うことに、全く抵抗はない。道具も作品に合わせて作る」と、ハードな作業もどこか楽しんでいるように見える。

「女だからできないとは考えない。溶断や溶接作業もバイクを乗りこなす感覚に似ている」と、その姿はかなり男前だ

金槌なども叩きやすいように自分で柄をつける。作品ごとに、ベストな重さ、角度、形が違うので、種類は増える一方だ

金属をアート作品の素材として意識し始めたのは、美大生時代。多摩美術大学、東京藝術大学大学院で、立体デザインや鍛金の技術を学び、用途を目的とした伝統工芸ではなく、アート作品で自分を表現する道を選んだ。「金属でこんな表現もできるのか、と感化されたのは、海外のアーティストによるメッシュのように繊細な作品でした。そのうち、街中で建築中の構造物や鉄骨部分が気になるようなり、地球上でモノが育っていくようなイメージと、宇宙のようなダイナミックなスケール感がつながり、自分の好きな美的感覚と金属が結びついた気がします。最近は、金属が存在している意味とか理由とか、そういったことを表現したいと考えるようになりました」

3月18日から開催される個展のドローイングを見つけた。広い空間なので、作品の中に入り込んだようなスケール感が楽しみだ

作品によっては、金属板の7割をくり抜いて端材になることも。これが小さな作品やワークショップの材料として役立つ

アートだけが言葉の壁を乗り越えた

「小学生の頃は漫画家になりたくて、とにかく絵を描くことが好きだった。学校で苦痛なく過ごせたのは図画工作の時間だけ」と笑う。小学校を卒業後、川上さんは父親の仕事の関係で米国のニューヨークに2年間暮らすことになる。当時、日本語学校も充実していない時代で、地元の中学生が普通に通う中学校に入学した。「そこで感じたカルチャーショックは、かなり大きかった。まったく英語を理解できないまま授業は進む。言葉がわからないから、友だちもできない。孤独って、こういうことを言うんだ、と実感しました」。それでも、帰国が決まった中学3年生の夏、両親と離れてでも米国に残りたいと思ったという。「肌の色や顔つきも、体格や骨格も、習慣や宗教も、全く違う人種の多さに、これが世界の現実なのだと知った。うまくコミュニケーションが取れず、悔しい思いをたくさんしたけれど、それでも、米国の魅力は感じていた。美術館や博物館で目にした作品のスケール感、クオリティの高さ、歴史的な価値。そのひとつひとつに、美術的な感覚の刺激や影響は、かなり受けたと思う」。そんな多感な時期に、絵を描くと周囲から「うまいね」「すごいね」と注目された。当時の川上さんにとって、アートだけが言葉の壁を乗り越える手段だったのだ。

米国で通っていた中学の卒業アルバム。川上さんはイラストを担当した(写真提供:川上りえさん)

サイエンスクラブの冊子制作でもイラストを担当した(写真提供:川上りえさん)

2009年サンフランシスコでのレジデンス制作風景(写真提供:川上りえさん)

2014年ルーマニアのレジデンスに参加して。ジビウの街並み(写真提供:川上りえさん)

川上さんは国内での作家活動を中心としながら、ポーランド、米国、韓国、ルーマニアなど海外でのアーティスト・イン・レジデンスにも多く参加してきた。このプロジェクトは、世界中のさまざまな芸術活動をしている作家を公募し、選ばれるとその土地に滞在しながら作品を制作できるという芸術文化活動を支援する制度。「10回応募して1回通るくらいの狭き門だけど、海外での体験は私の作品作りを進歩させてくれた。全くジャンルの違うアーティストと交流することで、作品と作家の関係性を考えるようになった」という。
海外のアーティストたちは想像以上に、性別、人種、民族、宗教の違いに基づく差別や偏見を切実に感じて生きていて、作品を通して社会的な問題意識を発表する人が多いと感じた。特に刺激を受けたのは、米国のレジデンスで出会ったパフォーマンス系のアーティストたち。一人のパフォーマーが胸に聴診器を当て、もう一人がその心臓音を聞いて太鼓で表現する。地下道の雑踏の中を行き来する人や状況によって鼓動が変わり、太鼓の音やリズムも変わるというパフォーマンスだ。自分が病気で死ぬことを知り、息を引き取る瞬間までの一部始終を映像アートとして、パートナーに記録させたパフォーマーもいた。「これはアートなのか。ショッキングで目を背けたいけれど、背けることができない。美術という枠を考えさせられた体験でした。表現と生きざまの関係性についても、解釈の幅が広がりました」

幾何学的に形成されたワイヤーオブジェクト「Living Cube」。2009年サンフランシスコにて制作(作者撮影)

昔の眼鏡レンズにスクラッチでドローイングを施し、プロジェクターで投影させた作品「Conversion」。2014年ルーマニアにて制作(作者撮影)

2014年ルーマニアのグシュテリツァ要塞教会敷地内で制作したスチール作品
「It was there all the time but you never saw it [I]」(作者撮影)

スタジオの2階は、まるで学校の美術室のような空間。初期の作品や海外のアーティストと交換した作品などが並んでいる

時空に包まれるような空間を生み出したい

「デッサンは、ひとつの物の見方。それを身体に伝えて表現する能力を鍛えてくれたのは、美大受験のために通った予備校でした。思った通りにデッサンできるようになると、紙という平面の中に立体空間を生み出すことができる。そこにたどり着くまで、かなり苦しみましたが、あの時期があったからいまの自分があると思います」。川上さんは作品によって「彫刻家」を名乗ることもあるが、背景や空間全体を作品として感じさせるインスタレーションを表現することが多い。
アーティストとして、いつも何を創ろうか考えている。たとえば車の運転中、目に飛び込んできた風景や耳にした音がヒントになることもある。そうやって生み出していくアイデアの中から、いいと思えるものを切り口にドローイングしたり、どんな風に表現するのか言葉にしたり、自分に問いかけていく。
作品作りで大切にしているのは、自分の体を使って金属という素材に触れ、形を生み出していくこと。叩いたり、曲げたり、溶接したり、それは、手仕事ならではの表情が出ると思うからだ。

2010年札幌資料館のオマージュとして制作された「Yet, We Keep Seeking for a Balance(それでもなお、我々は均衡を求める)」(撮影:山岸せいじ)

札幌芸術の森美術館中庭に展示された作品「Landscape Will – 2013」(撮影:酒井広司)

folding cosmos Villa Savoyeのために制作された「Elements of Planet 2015」(作者撮影)

「Interaction」2016年ギャラリーレタラ(札幌)にて(撮影:山岸せいじ)

JRタワー・アートプラネッツ・準グランプリ 2018作品「Undulating Ground(うねる大地)」(撮影:伊藤留美子)

3月に札幌市民交流プラザで個展を開催する。そのコンセプトについて聞いてみると、「たとえば、地面に転がっている石が人間と小さな虫の視点では、まったく違って見えるようなスケール感の違い、人間は世界の一部だということを多面的視点から受け止められるような作品にしたい。金属は、地殻から抽出されるもの。普段は意識していなくても、人間が存在するずっと以前から地面の中に存在している。その超越した時空に包まれるような不思議な感覚を生み出したい」と、なんとも哲学的な言葉が返ってきた。
「SCARTSはとても広い空間なので、ダイナミックな作品をダイレクトに表現できる。しかも、ガラス張りなので、館内を歩きながら中にいる人ごと作品全体として鑑賞することができます。現場で2日間かけて作品を組み立てる工程も公開するので、通路を行き交う途中にそれを楽しんでいただけるかな」と、別の目的で市民交流プラザに来訪した人の反応も意識している。組み立て作業を眺めるうちに、作業を手伝いたくなる人も続出するのではないだろうか。

3月の個展は、2017年にFabulous Wallの個展で発表した作品「Phenomena」の流れで世界観を生み出す予定(作者撮影)

個展「 Landscape Will 2019」に向けて作品を制作中(写真提供:川上りえさん)


川上りえ個展 Landscape Will 2019

■日時 2019年3月18日(月)~ 31日(日)
■会場 札幌市民交流プラザSCARTSスタジオ・ミーティングルーム(札幌市中央区北1条西1丁目)
公開設営:3月18日(月)~19日(火)
展示会期:3月20日(水)~31日(日) 11:00~19:00(最終日18:00まで)

<特別プログラム>
「SCARTSアートコミュニケーターによる鑑賞プログラム」

3月23日(土)/SCARTS <参加無料><申込不要>

「川上りえ アーティストの言葉を聞く」

3月23日(土)13:30~14:00/SCARTSスタジオ2 <参加無料><申込不要>

「川上りえ アートの素材に触れる」

3月23日(土)14:30~16:00/ミーティングルーム(SCARTS 2階)<参加無料><事前申込制>
定員:16人(先着順)対象:小学生以上(小学生は保護者同伴)
イベント情報のページ


川上スタジオ
E-mail:kawakamistudio●gmail.com ※●を@に変えてご利用ください
WEBサイト

この記事をシェアする
感想をメールする
ENGLISH