小説家の筆が描いたまち。書かれた時代と現在。土地の風土と作家の視座。
「名作」の舞台は、その地を歩く者の眼前に何かを立ちのぼらせるのだろうか。
*この連載は、作家の合田一道氏が主宰するノンフィクション作家養成教室「一道塾」(道新文化センター)が担当しています。
第40回

向田理髪店(奥田英朗)

あらすじ

やたらに広い自然の中に、使用されない公共施設が点在する。人よりも牛の数が多い。財政が破綻した小さな町で理髪店を経営する父は、店を継ぐと言う息子に困惑する。そんな中、長閑な集落地に起きる騒動や予期せぬ事件に関わりながらも、やがて町の未来に期待を抱くようになる。

財政破綻の過疎地に新たな扉を開く

雪乃林太郎/一道塾塾生

北海道の中央に位置する苫沢町は老人だけの世帯が多く、活気のない財政破綻した山間の町である。『向田理髪店』を営む向田康彦(53歳)は、30年前に父親から引き継いだ稼業を自分の代で終えるつもりでいた。一応、中心街に店舗を構えてはいるが、客の大半は高齢者なので前途洋々とはいえない。
変化のない虚しい日常を送る中、思わぬ事態が起きた。正月に帰ってきた息子の和昌(23歳)が熱く語った。

「おれは地元をなんとかしたいわけさ(中略)理髪店を継ぐことにしたから。
サラリーマンにはいくらでも代わりがいるけど、苫沢の散髪屋は代わりがいねえべや」

康彦は反論を抑えて、もう少し待てと諫めた。老後を思うと有難い、だがこの町に明るい未来は望めない。息子は札幌の商事会社を辞めることに未練はないというけれど、本心は仕事がうまくいかなくて、逃げ帰るのではないのかと、胸に複雑な痛みを感じた。かつての自分と同じ道を歩んでしまうのではなかろうか…。

札幌でうまくいかなかったのは、30年前の自分だ。大学を出て、中堅の広告代理店に就職し、張り切って働いていた(中略)自分にはアイデアを出す能力がないことを思い知らされた(中略)無から有を生み出す創造力に欠けていることを思い知らされた。

弱さを隠し故郷に逃げ帰った。そんなトラウマを息子に重ねてしまうのだった。
雪で閉ざされる廃墟地はゴーストタウンと化す。不気味な静寂が夜に漂う。

北国の過疎地にようやく夏が訪れる頃、町民を驚愕させる事件が勃発した。
東京で暮らしていた広岡秀平が詐欺容疑で逃亡していると、名前と顔写真を交えてTVは放送していた。被害者の老人が自殺したこともあり、犯罪として扱われている。

「おい! これ、広岡君の息子でねえか!」(中略)康彦は、思わず腰を浮かせ、大声を上げた。驚いた母が入れ歯をテーブルに落とし、ふがふがと呻いている。

秀平は和昌よりも2つ上で子供の頃は一緒に遊んでいた。店に来るときは行儀のよい子だったと、康彦は20年前の光景を回想し、広岡家の様子を気にかけた。マスコミが殺到する前にどうにかしたいと迷うが、既にテレビ局が動いていた。広岡家はマスコミが殺到し翻弄された。寝込んでしまう母と自殺を考えてしまう父は、町民に支えられながらなんとか平常心を保つことができた。そんな頃、青年団と共にする和昌の行動に、康彦は疑念を抱く。まさかあの連中、秀平を匿っているのでは? だとしたら犯罪だ。そんなとき携帯が鳴り警察署へ向かった。
なんと、和昌と数人の団員が容疑者を警察に出頭させた事を知る。
一晩匿っていた事実は罪には問わないと署長は言う。腑に落ちない康彦に和昌は説明をする。

「秀平さんから連絡があったべさ(中略)逮捕されるのはしょうがないとしても、自分にも言い分はあるし、それをおふくろに聞いてもらいたいし、何より手錠をかけられる前に、ちゃんと謝りたいって(中略)昔は何かあるとつまはじきだったそうだけど、これからの小さな町はちがうべ。みんなが仲良く暮らせる偏見のない町作りだべ」

若者たちはこの町を見捨ててなどいなかった。過疎化が進むなか未来に兆しが見え始めた。熟したメロン畑にも爽やかな風が吹き始めた。
苫沢町のモデルは夕張市と思われる。かつては石狩炭田の都市であった。現在は繁栄の面影や産業の名残はないけれど、たくましく生きる姿がある。この町の夏を彩るメロン畑の壮観なる風景は、人々の心を和ませてくれる。


奥田英朗(おくだ・ひでお)

1959年岐阜県生まれ。2004年『空中ブランコ』で直木賞受賞。コピーライター、構成作家を経験し、作家デビュー。
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