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船山馨(ふなやま・かおる)
大正3(1914)年、札幌市で生まれる。札幌二中(現西高)卒業。授業料が払えずに、早稲田高等学院を一学期で退学。その後、明治大学も退学する。北海タイムス(後の北海道新聞)に入社し、東京勤務となり文学活動を始める。太宰治の突然の死で被さってきた執筆の激務から、ヒロポンを常用する。尊敬する高見順に厳しく戒められて、ヒロポンを断つ。『石狩平野』がベストセラーとなり、小説新潮賞を受賞。船山は自身のテーマである「罪と復活」を果たした。糖尿病、脳内出血と病に蝕まれてゆき、昭和56(1981)年8月5日死亡。同日夜、おしどり夫婦といわれた妻春子も、狭心症で急逝する。