小説家の筆が描いたまち。書かれた時代と現在。土地の風土と作家の視座。
「名作」の舞台は、その地を歩く者の眼前に何かを立ちのぼらせるのだろうか。
*この連載は、作家の合田一道氏が主宰するノンフィクション作家養成教室「一道塾」(道新文化センター)が担当しています。
第16回

(日本語) 石狩平野(船山馨)

あらすじ

明治14(1881)年の春、13歳の開拓移民の娘、高岡鶴代は、手宮の桟橋で餅売りをして家計を助けていた。開拓使の小書記官、伊住通直一家が東京から赴任してきた日、伊住の息子次郎と出会い、次郎の育ちの良い優しさに衝撃をうけ、忘れることができなくなった。小樽の大火を機に、鶴代の両親は札幌の円山村に入植することになり、鶴代も伊住家に奉公に出ることとなる。

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船山馨(ふなやま・かおる)

大正3(1914)年、札幌市で生まれる。札幌二中(現西高)卒業。授業料が払えずに、早稲田高等学院を一学期で退学。その後、明治大学も退学する。北海タイムス(後の北海道新聞)に入社し、東京勤務となり文学活動を始める。太宰治の突然の死で被さってきた執筆の激務から、ヒロポンを常用する。尊敬する高見順に厳しく戒められて、ヒロポンを断つ。『石狩平野』がベストセラーとなり、小説新潮賞を受賞。船山は自身のテーマである「罪と復活」を果たした。糖尿病、脳内出血と病に蝕まれてゆき、昭和56(1981)年8月5日死亡。同日夜、おしどり夫婦といわれた妻春子も、狭心症で急逝する。
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