北海道の気候風土をいかして、おいしいものを生産したり、
開拓期からの技をいまに伝えたり、世界に誇れるものを生み出したり、
道内各地を放浪して出会った名人たちに、その極意や生き方を聞いてみた。
【餅菓子店】

「除夜の鐘を聞きながら、橇で餅を運んだ」

vol.9 
雷除志ん古 藤野戸秀勝さん/小樽市
小樽には、昔ながらの餅屋が多い。北前船航路の寄港地だった時代から、
東北や北陸の米どころから原料の米が入り、鉄道が整備されると
道内各地で生産された小豆やビート(砂糖の原料)が運び出された港でもある。
古くから餅菓子の材料を入手しやすい環境だった小樽で150年以上の歴史を持つ
老舗「雷除志ん古(かみなりよけしんこ)」を訪れることにした。
矢島あづさ-text 伊田行孝-photo

港で働く労働者に好まれ、ガンガン部隊が広めた

「うまいうまい羽二重餅。餅はいらんかね。うもないば銭こ要らんぞ…」。開拓時代を舞台にした船山馨の小説『石狩平野』は、主人公の鶴代が小樽の手宮桟橋で、横浜から着いたばかりの黒くて大きな汽船から降りてくる乗客相手に餅売りをするシーンから始まる。のちに身分違いの悲恋の相手となる次郎と初めて出会う重要な場面だ。小樽の人と話しをすると、「餅」がどれほど繁栄の象徴であったのか、感じることがある。「雷除志ん古」は、物流の集積地だった手宮に創業した小樽最古の餅菓子店。鶴代と同じように、初代も船着き場で餅を売り歩いていたという。現在は若松町で、4代目・藤野戸秀勝(ふじのと・ひでかつ)さんがその暖簾を守る。

江戸から明治にかけて日本経済の大動脈となった北前船航路は、北海道開拓の大きな原動力となり、寄港地の一つだった小樽は、明治・大正には神戸、横浜と肩を並べる日本の三大港として栄えた。その港湾で働く労働者から喜ばれたのが、手軽に食べられ、腹持ちのよい餅菓子だった。地元での冠婚葬祭の需要はもちろんだが、「小樽の餅」を道内各地に広めたのは、海産物や農作物をブリキ缶に詰め込んで行商していた「ガンガン部隊」の存在が大きい。小樽の市場は、満州や樺太(現サハリン)からの引き揚げ者たちが木箱の上に魚を並べた露店から始まっている。その市場を支えたのが、後志はもとより、岩見沢、美唄、滝川など採炭地から海産物を仕入れにやってきた行商人たちだ。夜明け前には品定めし、午前8時くらいの列車で戻って行く彼女たちもまた、港の労働者と同じく体力を消耗した。帰りの列車で、できたての大福などを口にして一息つけたに違いない。かつては小樽と定期航路で結ばれていた最北の利尻島・礼文島にも、小樽の餅は届いていたという。

祖父の代から使われている餅つき機。「餅肌が滑らかになり、あまり軟らかくなり過ぎないところで止めるのがコツ。夏場と冬場では状態も違うから、この手の感触だけが頼り」と秀勝さん


酒好きの秀勝さんが二日酔いの朝、つい塩を多めに入れてしまったこしあんが、いまの大福の特徴になった。「塩味がきいていて、飽きない」と男性にも人気だ


大福をまるめる作業を手伝うのは、30年勤める従業員の吉田京子さんと、その娘の久美さん。「正月用ののし餅は、久美が一番上手」なんだとか。


できたての大福は驚くほど軟らかい。時間を置くことで食べやすいコシが出てくるという

かつて小樽には100軒以上の餅屋があった。

秀勝さんが家業を継いだのは40年ほど前。「札幌で勤めていたけれど、親父が倒れてね。後継ぎがいなかったので戻ってきた。23、24歳頃だったかな」。当時を思い出しながら大福を丸める秀勝さんに、150年以上前から続く秘伝のようなものを聞いてみた。「爺さんからも、親父からも教わったことは何もない。ただ、小学生の頃から、忙しい時期や休日には餅を丸めるのを手伝っていたから。中学生になると、除夜の鐘を聞きながら餅を橇にのせて配達していたことをいまも覚えている」という。

先代が入院するまでは、あんこの練り方も、米の蒸し方も、まったく知らなかった秀勝さん。「最初は杵を下すのが、おっかなくてね(笑)。手がつぶれたら…と考えたら、なかなか手を出せなくて。あんこも焦がしたり、よく失敗してた。代々伝わるレシピはあったけれど、その通りにやってもうまくいかない。教えてもらったとしても、すぐできるもんじゃない。やっぱり、自分でやってみて、感覚で覚えなきゃ、ダメなのさ」

年の暮れになると、先代の頃は米4、5俵(約240~300㎏)の餅をついていた。ドラム缶で米をとぐほどの量だった。秀勝さんによると、「かつて小樽には100軒以上の餅屋があった。特にこの辺は多い地域だった」という。南小樽周辺は繊維産業が盛んで50軒以上の問屋が並び、寺社も多い地域だったと聞く。寺社からの注文、参拝客のお土産、職人のおやつ、当時を想像すれば、餅屋や餅菓子店が増えていったのもうなずける。そういえば、歩いて5分ほどの国道5号沿いに、創業100年以上の「菊原餅菓商」がある。入船十字街方面にちょっと上がれば1913(大正2)年創業の「景星餅菓」もあり、そこからほど近い花園にも「みなともち」や「ツルヤ餅菓子舗」などの老舗が並ぶ。文豪・小林多喜二が拓銀小樽支店に勤務していた頃、出勤前に家業を手伝って餅をついていたというエピソードも残っているくらいだから、まぎれもなく、小樽は餅のまちなのだ。

「売れ切れないうちに」と朝一番にやって来たお客さんは男性だった。「ここの餅で正月を迎えたいから」と、札幌からわざわざ来てくれる常連も多い


「昔は内地米を使っていたけれど、いまは道産米がおいしくなったから」と地元産にこだわる。現在、店頭に並ぶのは白、赤、草、豆、胡麻の5種の大福のみ。各140円


店名の由来は? の問いに「なんでだろうね? 聞いたことない」と笑う4代目。そのおおらかさが地元の人に愛され続ける秘訣だろうか

雷除志ん古
営業時間/7:30~品切れまで
定休日/日曜・祝日
北海道小樽市若松1-5-13
TEL:0134-22-5516

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