北海道の気候風土をいかして、おいしいものを生産したり、
開拓期からの技をいまに伝えたり、世界に誇れるものを生み出したり、
道内各地を放浪して出会った名人たちに、その極意や生き方を聞いてみた。
【染み抜き名人】

「染みそのものより、人と向き合うのが仕事」

vol.21 
染み抜き化学研究所 代表 佐藤大輔さん/札幌市
「これ以上の染み抜きは生地を傷めますので…」。そんなクリーニング店の言葉に諦めてしまった経験は、誰しもあるだろう。「まだ、何とかできる。諦めないで」と、クリーニング店には出来ない染み抜きを専門に引き受ける店を見つけた。15年も全国各地からの依頼に応え続ける、その道の極意をたずねてみた。
矢島あづさ-text 伊藤留美子-photo

クリーニング店に染みを抜く時間はない

染み抜き化学研究所にやってくる仕事は、ほとんどがクリーニング店では落とせない染み抜きである。もともと大手クリーニング店に勤めていた佐藤さんは、営業マンとしてお客様と接し、店舗を任され、経営のノウハウを身につけながらクレームを分析するうちに、染み抜きに対する要求の多さを実感した。しかし、通常のクリーニング店では、染み抜きのような手間や時間のかかる作業を引き受けることはできない。とくに分業化される大手では、受付や営業担当者に洗濯の知識や技術はほとんどない。染み抜きしたこともない人が「これ以上やると生地が傷む可能性が…」というマニュアルトークで断るしかないのだ。新店舗出店や店員教育、顧客管理などを手掛けてきた佐藤さんだが、染み抜きだけはどうしても効率化することができなかったという。

「大手にできないなら、俺がやるしかない」と、佐藤さんが染み抜き専門店を起ち上げたのは2005年。全国各地から情報を集め、新たな技術を試しながら、必死に染み抜きの習得に励んだ。しかし、通常のクリーニング店とうまく差別化できず、3カ月も売り上げのない状態が続き、閉店を考えるほど追い込まれる。その矢先、NHKからテレビ出演の声が掛かった。主婦をターゲットに「家庭でできる染み抜き」を紹介する1時間枠の番組だ。それを機に各テレビ局に取り上げられ、その頃は8割が道外からの仕事だった。当時、染み抜き専門店は全国でも珍しく、染み抜きがブームになったのは6、7年前。専門店も各地にできていったが、いま、生き残っている店は少ない。

「これ、ちょっと落としてみる?」と、黒い油染みがついた工場の作業着に取り掛かる佐藤さん

熱と圧力を使い染み抜き溶剤を吹きかけると、動画でお見せしたいほど、みるみるきれいになっていく

ほんの数分で油染みがなかったことに。後は通常のクリーニングをして完璧な仕上がりに

染み一つ一つに必ずエピソードがある

お客さんの細かいニーズに応えるため、当初は一人で切り盛りしていた店だが、現在は染み抜きも接客もできる従業員が2人。佐藤さんにしかできない難しい仕事は、社長用のハンガーラックにかけられていく。その確かな腕を頼り、いまも全国からさまざまな依頼が入る。個人の思い入れが深い形見やヴィンテージ品もあれば、消防署や工場の作業着、飲食店や美容室から「お客様の洋服を汚してしまった」と飛び込むケースも多い。15年も続けていれば、忘れられないエピソードは語りつくせないほど。

ある休日、樽前山に登っていたら、店から「東京の結婚式場から、いますぐ飛行機で行くから至急染み抜きしてほしいそうです」と緊急連絡が入った。聞くと、式場の従業員が披露宴列席者のジャケットに飲み物をこぼしてしまったらしい。「お客様は明日、熊本に帰られるので、今日中になんとかしてほしい」と切羽詰まっている。「東京にも染み抜き業者はいると思うよ。でも、うちなら確実に仕上げてくれると飛行機代をかけてまで頼ってくれたわけだから、断れないよね」と佐藤さんは下山し、札幌へ戻った。「本当は、やりたくないよ。その従業員の今後の人生、大手結婚式場への信頼まで背負うわけだから。たかが染み一つでも重いじゃない」。結果、10分ほどで取れた染みだったので、いただいたお代は3000円程度。いまでは笑い話になっている。

浦河町から高級ブランドのバッグを抱えてやって来たお客さんもいる。「孫が連れて来た彼女のバッグに飼い猫がおしっこをかけてしまった。このままでは、結婚も破談になるかもしれない」と泣きつかれた。「そんなことで破談になるような相手なら、結婚しない方がいいと言いたかったけれど、そのおばあちゃんの必死さに何とか応えたいじゃない」。革製品の染み抜きは初めてだったが、引き受けることにした。「あの時、引き受けたから、いま、うちは革製品も扱っている。そう考えると、あの出会いは大きい」と振り返る。

10分で落ちる染みから数カ月かかるツワモノまで、全国から集まる依頼は続々

「この赤い革のジャケットは、裏地の染みを抜くのが仕事。これは、普通のクリーニング店では絶対にできない。外側の革の色やけや染みは味になるから残したままでいいらしい。染みに対する感覚は、持ち主それぞれなの」

「色やけを修復する仕事は、ほとんどプラモデルや車の塗装と同じ感覚。イラストレーターのように色の配合を調整して、このエアブラシを使う」

僕がやらないと困る人がいるから

佐藤さんに染み抜きできない素材は、ほとんどない。ただし、「僕が向き合っているのは、染みそのものではなく、人なんです。持ち主が何を望んでいるのかを見極めたり、気持ちをすっきりさせたり、ショックを和らげることも大切な仕事」だという。たとえば、買ったばかりの洋服に染みをつけた人が駆け込んで来ても、普通の洗濯やクリーニングで落とせそうなら「これなら大丈夫。まずは落ち着いて、ビールでも飲んで寝なさい」と引き受けないこともある。

お客さんには、その染みを抜くには、どのような工程が必要で、かかる時間と料金をしっかり伝えるようにしている。いまでも忘れられないのは、あるプロ野球団のファンから頼まれた仕事だ。選手50人のサインが書かれたユニホームだったが、「退団する選手のサイン一つだけ残して、あとは全部消してほしい。退団する日にそれを着て行きたい」という。「2日間かかる大変な作業で、確か5、6万円はいただいたかな。その方にとっては、それだけの価値があったんでしょうね」

「一つ一つ思い入れのあるものをやるのは、辛いときもある。けれど、そこに向き合う人が必要だと思うから、僕がやらないと困る人がいるから続ける。ただ、お客さんを喜ばせたいだけなんだけどね」と、佐藤さんは今日もコツコツ染みと向き合う。

染み抜き化学研究所
営業時間/13:00~18:00
定休日/日曜・祝日
北海道札幌市白石区中央1条5丁目5-7ピスタビル1F
TEL:011-863-4374 FAX:011-850-9934
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