「すし職人の修業で極めた玉子焼き」
vol.22玉一商店 代表 古草寛顕(ふるくさ・ひろあき)さん/札幌市 「ぎょくを食べれば、職人の腕前がわかる」といわれるほど、玉子焼きはすし屋で重要なネタ。その玉子焼き一筋に56年作り続けている職人がいる。しかも、ふっくらとした食感を出すために、箸でかき混ぜながら焼き上げる手仕事にこだわる。誰からも愛される玉子焼きの極意を探ってみた。
初めて食べた築地のだし巻き玉子
古草寛顕さんが、旭川ですし職人として修業を始めたのは15歳の時だ。当時、北海道ですしネタの玉子焼きといえば、小樽で魚のすり身を混ぜて作られた蒲鉾のようなものが主流だったという。独立を夢見て、腕を磨くために東京へ出たのは25歳。勤めたすし屋で、初めて食べただし巻き玉子に「こんなおいしいものがあったのか」と衝撃を受け、作り方を教えてほしいと大将に頼んだ。翌日、玉子焼きの鍋を与えられたが、教えてくれる先輩はいない。その店は、築地から玉子焼きを仕入れていたからだ。何とか玉子焼きらしいものが作れるようになると、先輩が「築地へ魚を仕入れに行くから、一緒に連れて行ってやる」と声を掛けてくれた。
築地で有名な玉子焼き専門店「丸武(まるたけ)」をのぞくと、夜明け前から職人さんが一列に並び、箸をくるくる回しながら、玉子焼きをふわっふわに仕上げていた。そのまぶしいような光景は、いまでも目に焼きついている。何度も築地へ足を運び、同じような玉子焼きができるまで試行錯誤を繰り返す日々。店ですしネタとして使ってもらえるようになると、「この玉子焼きを北海道で広めたい」という気持ちが高まり、独立の夢は「すし職人」から「玉子焼き職人」へと変わった。玉子焼き専門店のノウハウを学ぶために、新富町にある老舗「玉吉(たまよし)」で腕を磨く。「あのまま、すし職人の道を進んでいたら、こんな幸せな人生は送れなかったと思う」と古草さんは笑う。
機械には真似できない技がある
機械で玉子焼きを作ることは可能だ。「でもね、この軟らかい食感は、機械では無理。菜箸で卵液に空気を入れながら手仕事で焼き上げないと、ふっくらとした玉子焼きにはならない」という。このこだわりは、1967年に札幌で創業して以来、ずっと守り続けている。鮮度で味も変わるため、卵は養鶏所から直接仕入れる。卵には塩、砂糖、かつおだしを加えるだけ。保存料や着色料などの余計な添加物は一切使用しない。
「うちの味の決め手は、かつおだし。だしを取る作業は、娘にしか任せていない。ちょっと分量が狂うだけで、味も全く変わるから」という。「東京の老舗で学んだのは、職人の勘に頼らないこと。当時の職人は目分量で作っていたから、お客さんから甘いとかしょっぱいとかクレームが入ることもあった。だから材料の配分は、きっちりしっかり決めて、一定の味を守り続けることにしたの。一度うちの玉子焼きを食べてくれたら、まず他に乗り換えることはない。ほら、食べてみて。わかるでしょ」と試食させてくれた。なるほど、ほどよい甘さと弾力は、確かにすし屋で口にする味だ。しばらくすると、不思議とまた食べたくなる。「でしょ。ラーメンでも、蕎麦でも、おいしいものはたくさんあるけれど、また食べたくなる余韻が残るかどうかが大切なの」というのが古草さんの持論だ。「こうして上等な海苔を巻いて食べると、いい酒のつまみになるんだよ」と、おすすめの食べ方を教えてくれた。
卵アレルギーの子も食べられた
創業当初、北海道ではなじみのなかっただし巻きをすしネタとして広めるには、かなり苦労されたのではないだろうか。「いや、ほとんど営業に歩いたことはない。うちの営業マンは、この玉子焼き。こちらから頭を下げなくても、口コミや紹介で顧客が増えていくの。俺みたいに贅沢な商売しているやつはいないんじゃないかな。手作りで焼いているのは札幌でうちくらいだから、取ったり取られたり、へんな競争もない」という。
現在、従業員は家族を含めて10人ほど。一日に700~1000本製造しているが、手作業ができなくなるほど生産量を増やすつもりはない。取引先は札幌中央市場をはじめ、道内の市場やスーパーマーケット、食品メーカーや飲食店など40件ほど。取材中も、200本、300本と注文のFAXが入る。「嬉しいよね。これだけの人が食べてくれると思うと。この玉子焼きのおかげで、王貞治さんのような著名な方とも知り合いになれた。卵アレルギーのお子さんを持つお母さんから、うちの玉子焼きは食べられたと言われたこともある。職人冥利に尽きるのよ。同じ働くなら、喜ばれたいでしょ」。古草さんは、本当に幸せそうに今日もまた玉子焼きを作り続ける。
有限会社 玉一商店
営業時間/10:00~17:00
定休日/土・日曜・祝日
北海道札幌市東区北10条東15丁目2-33
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