│vol.1│
オホーツクミュージアムえさし

異文化とのつながりを物語る、謎多き黄金の刀
金銅装直刀
(こんどうそうちょくとう)
柴田美幸-text 黒瀬ミチオ-photo
金色の鐔(つば)と2つの足金具(あしかなぐ)にほどこされた文様が、3つとも異なることに注目。鋒(きっさき)が両刃(もろは)になるまっすぐな刀は、反りのある片刃の日本刀が完成する以前の刀剣。鞘(さや)にほどこされていたと思われる蒔絵は、通常は革が使われる把(つか)にも入れられていたことがわかった。オホーツク文化の遺跡で見つかった交易品だが、国産なのか唐(中国)で作られたものかは現在研究中。
刀装具を金で飾り文様を施した刀の出土は、東北以北で初。また、9世紀初頭の蒔絵の工芸品も国内にほとんどない。地元・枝幸高校の生徒が初めての発掘で発見したというストーリーに驚く。

北の海辺に輝く金の刀

黄金に浮かび上がる、花びらのような文様。その一枚一枚が重なって優美な曲線を生み出し、縁に細かく入れられた線で鳥の羽のようにも見える。これは「宝相華文(ほうそうげもん)」と呼ばれる、植物をモチーフとした文様だ。目を凝らすと、宝相華文のまわりに細かなつぶつぶの文様が敷きつめられている。「魚々子(ななこ)」といい、魚の卵のように見えるのが由来だ。どちらも奈良時代に唐代の中国から伝わった仏教的な文様で、工芸品や仏具の装飾などに盛んに用いられた。
文様は、刀の鐔(つば)と、鞘(さや)に取り付け帯から吊るすための足金具(あしかなぐ)に彫り込まれている。これらは銅を金めっきした鍍金(ときん)で、当時はかなり高度な技術だった。さらに、鞘の表面には漆が塗られ、蒔絵(まきえ)がほどこされていた痕跡が見つかったという。今はすっかり朽ちているが、金と蒔絵に彩られた絢爛豪華な逸品だったと想像できる。

足金具に刻まれた文様には、それぞれ微妙な違いが見られる

このきらびやかな黄金の刀は、京都や奈良で一本も出土例がなく、都があった場所で出土しても驚きである。ところが発見されたのは、都から遠く離れた道北・オホーツク海沿岸の枝幸(えさし)町。それもオホーツク文化の遺跡からと聞くと、なぜそこに?という疑問が湧いてくる。

「金」と都とオホーツク人

オホーツク文化は、5〜9世紀、サハリンから北海道のオホーツク海沿岸、千島列島に広がった、アザラシなどの海獣猟を生業とする海洋狩猟民の文化である。彼らは北方の大陸にルーツを持ち、8世紀ごろまではアムール川流域の靺鞨(まっかつ)文化と盛んに交易を行っていた。
枝幸町の沿岸部にある目梨泊(めなしどまり)遺跡は、オホーツク文化の代表的な遺跡として知られる。神威(かむい)岬によって湾となった地形は港として機能し、オホーツク文化最大の交易拠点のひとつだった。「オホーツクミュージアムえさし」では、7〜8世紀半ばごろの、大陸の文化に由来すると思われる青銅製帯飾(おびかざり)というベルトのバックルのような装飾品を、道内でもっとも多く収蔵している。
8〜9世紀に入ると、今度は南方との交易が盛んになる。このころ北海道南部を中心に擦文(さつもん)文化が広がり、本州の奈良・平安の律令国家の影響を色濃く受けていた。オホーツク人は、擦文人や東北地方のエミシと呼ばれる人々を介して本州と交易していたと考えられ、目梨泊遺跡からも本州で作られた蕨手刀(わらびてとう)が多数見つかっている。これらの出土物は、オホーツク海を中心に北と南の広大な範囲で繰り広げられていた交易を物語る。

神威岬によって湾になったところに、オホーツク文化の交易の拠点集落があった。岬は舟の目印になったと思われる

そして、新たに目梨泊遺跡の展示に加わったのが、2018年に発見された黄金の刀だ。ただ、この刀には謎が多いと、館長の高畠孝宗(たかばたけ たかむね)さんは言う。刀は9世紀初頭(平安時代初期)に作られたことはわかったが、どのように枝幸に持ち込まれたのか、まったくわからないのだ。エミシや擦文人から手に入れたとも考えられるが、「東北や道内の遺跡でこのような刀は見つかっていないのです。もしかしたらエミシや擦文人の手を経ず、当時の律令国家の地方官庁で、東北の日本海側の交易拠点だった秋田城から直接持ち込まれたのかもしれません」。そうであれば、枝幸のオホーツク人は本州と直接の交易も行っていたことを示唆する。では、なぜ枝幸なのか? 高畠さんは「仮説ですが」と前置きした上で次のように話す。
道内のオホーツク文化から本州への交易品は、アザラシ、ヒグマなどの毛皮や、矢に使うワシの羽などだったとされるが、枝幸にはもうひとつ特別なものがあった。それは金だ。枝幸地方は古くから砂金が採れることで知られ、明治30年代には枝幸砂金としてゴールドラッシュに沸いた歴史がある。「オホーツク人は金を加工して使うことはなく、砂金の価値をどの程度認識していたかわかりません。しかし本州の国家にとっては、オホーツク人と直接取り引きしたい動機になったのではないかと考えます」。つまり、枝幸の金が都まで渡り、対価物として黄金の刀が枝幸へ持ち込まれた可能性がある。この刀は、オホーツク人の外の世界・都とのつながりを示すシンボルとなっていたのではないか……。
こう聞くと、金で都とつながるオホーツク人という、海洋狩猟民のイメージとはまったく違う別の姿が立ち現れてくる。
2022年には、刀と別の場所で出土した鞘の先端部の金具にも金めっきの痕跡が認められ、2本目の黄金の刀が存在する可能性が高まった。今後、こちらも展示公開される予定である。

刀は墓坑(ぼこう)に入れられていたが、人骨はいくら探しても見当たらず、かわりに神威岬の石(写真)とクジラの骨、土器の底があった。これはオホーツク文化の墓では初めての事例で、元から遺体がなかった可能性もあるという

人の営みを物語る日本最大のワシ

絶滅危惧種のオオワシだが、冬の枝幸では電柱に留まっている姿がよく見られるという

オホーツク文化の交易品だったとされるワシの羽。本州では若いオオワシの尾羽根に現れるまだら模様に価値を見出し、矢羽として珍重した。
オオワシは、冬に大陸の極東沿岸やサハリンなどから1500羽ほどが北海道へ渡り、そのうち30〜50羽が枝幸にやってくる。館の剥製は翼を大きく広げ、鋭い爪で今にも掴みかかってきそうな迫力だ。この飛んでいるポーズには、生物担当で鳥類が専門の学芸員・立石淑恵(たていし よしえ)さんのこだわりが表れている。「日本最大のワシなので、翼を広げると大きさを実感できると考えました」。以前からある剥製は若鳥で小ぶりだったこともあり、町内で死体回収した体の大きなメスの成鳥を、躍動感ある姿に仕立ててもらったという。
町内を流れる北見幌別川の支流・ケモマナイ川は、サケが遡上する秋、魚が主食であるオオワシのたまり場となる。ただ、近年は環境の変化などで個体数が減少傾向にあり、立石さんは自然のバロメーターとして調査している。「とくにサケを好み、サケ漁とも密接に関わる鳥なので、漁の変遷によってどこで冬を越すか変化してきています」と立石さん。オオワシによって地域の営みの変化も見えてくる、というのが興味深い。そして、謎多きオホーツク文化をひもとくキーのひとつとしても、生物の分野の視点は欠かせないのだ。


オホーツクミュージアムえさし
北海道枝幸郡枝幸町三笠町1614-1
電話:0163-62-1231
開館時間:9:00〜17:00
休館日:月曜、最終週の火曜(祝日の場合、翌平日に休館)、12月30日~1月4日
入館料:無料

この記事をシェアする
感想をメールする
ENGLISH