戦場のリアルとは
釧路市のベッドタウン・釧路町。人口は1万人あまりだが、大きなショッピングセンターもあり、道東地方の中でも、活気がある街である。釧路町の別保地区は、その活気さとは無関係の閑静な土地である。釧路町役場の本庁舎があり、本来、町の中心地ではあるが、まわりに広がる釧路湿原の中で、ゆっくりと時が流れ、車が通らない限り、虫の音しか聞こえない。
その別保地区に自衛隊員の姿が目立つようになる。一般大卒幹部自衛官で3尉の安達は、小隊を率いて、別保地区一帯で防御し、ある期間までロシア軍の侵攻を阻止する任務を受けていた。アパートに住むシングルマザーに避難を呼びかけたが、応じる気配はない。戦争の緊迫感がなかったからだ。安達自身にも情報は全く入らず、女性を説得することはできなかった。
しかし、戦闘は突然、始まった。「始まるかもしれない」という情報がもたらされたのは、前日だった。重要な情報が現場にすぐに降りてこないのは、この組織特有のことだった。戦闘に備えて、連日、野営を続けていた隊員たちはすでに疲労のピークにあった。
初めての戦闘。瞬く間に、安達は地獄を見ることになる。
木の幹が剥がれる音、土の塊が降り注いでは地面にぶつかる鈍い音、火薬のにおい、振動が永遠と感ぜられるほどの時間が続いた。自分が大声を出している、と気が付いたのは鼓膜を通じてではなく、のどが激しく震え、ひりひりするまでに渇いていたからだった。
小隊とは、中隊より下位で、分隊より上位の部隊である。中隊長から連絡を受けた安達は死傷者が出ていることを報告するも「現戦力で対処せよ!終わり!」と言われるだけで、
支援は全くない。圧倒的な戦力の差に、小隊は苦戦を強いられる。
すべてがコマ撮りの連続で、ゆっくりと進む。それまで固く結ばれていた口が半開きになり、小銃弾のエネルギーが鉄帽と頭蓋の内側で膨張し、それが顔中の穴と言う穴から吐き出される。弾の破片か骨の欠片かが口から飛び出し、いくつかの歯を、肉もろとも身体の外に吹き飛ばす。
安達の良きパートナーだった無線通信士長の立松が死んだ。射撃と伏せを繰り返す、基本的な動作を繰り返している最中に、撃たれたのだ。安達自らもロシア兵を1人、射殺した。手ごたえも何もなく、反動による鈍い痛みが手首に残るだけで、人間性は失われていた。
ほどなく、釧路町別保地区は壊滅状態となった。避難を拒んでいた女性のアパートは骨組みだけになり、駐車場には彼女が乗っていた車が横倒しになっていた。ロシア軍が釧路市に入るのも目前だ。戦意喪失となった小隊。安達の矜持とは何だったのか。
自分を支えるのは不撓不屈の精神でも高邁な使命感でも崇高な愛国心でもなく、ただ一個の義務だけだった。3等陸尉という階級に付随する、無数の手続きが、総じて一つの義務となり、自分を支えている。
この作品は、元自衛官という作者ならではの視点で、戦場における土煙、匂い、音、光といったものがリアルに描かれている。十分な戦力もないまま、前線に駆り出される「小隊」は、まるで組織の捨て駒のようだ。
今、ウクライナが戦場となっている。ウクライナの兵士、そしてロシアの兵士はどのような気持ちで、戦っているのだろうか。いつの時代でも、戦場は、崇高な理念などはなく、ただただ、無駄に人が死んでいくだけなのかもしれない。
小説の舞台となった釧路町をめぐりながら、そんな思いを強くした。