小説家の筆が描いたまち。書かれた時代と現在。土地の風土と作家の視座。
「名作」の舞台は、その地を歩く者の眼前に何かを立ちのぼらせるのだろうか。
*この連載は、作家の合田一道氏が主宰するノンフィクション作家養成教室「一道塾」(道新文化センター)が担当しています。
第72回

(日本語) 関寛爺(徳冨蘆花)

あらすじ

1910(明治43)年9月24日から30にかけて、作者(徳冨健次郎)は妻(愛子)と養女(鶴子)の親子3人で、淕別(現陸別町)の医師関寛(通称寛斎)を訪問し、斗満の自然を満喫した。翌年、作者は寛斎からの手紙で、親子との不和を気に掛ける。この作品は、『みみずのたはこと』の一節である。

Sorry, this entry is only available in Japanese.


徳冨蘆花(とくとみ・ろか)

1868(明治元)年~1927(昭和2)年。 熊本県水俣村(現水俣市)出身。本名徳冨健次郎。同志社英学校(現同志社大学)中退。1889(明治21)年民友社社員。校正や翻訳の仕事をしながら、1900(明治33)年に、『不如帰』を発表。代表作は、『自然と人生』、『みみずのたはこと』。兄は思想家の徳富蘇峰。
Share this article