小説家の筆が描いたまち。書かれた時代と現在。土地の風土と作家の視座。
「名作」の舞台は、その地を歩く者の眼前に何かを立ちのぼらせるのだろうか。
*この連載は、作家の合田一道氏が主宰するノンフィクション作家養成教室「一道塾」(道新文化センター)が担当しています。
第26回

颶風(ぐふう)の王(河﨑秋子)

あらすじ

明治時代、東北から新天地・北海道を目指す捨造は母からの手紙を読む。そこには自分の出生と馬との驚愕すべき関わりが記されていた。その宿命的な関わりは昭和、平成へと続く。6世代に渡る一家と馬との年代記。

“及ばぬ”中で光る命

坂野 秀久/一道塾塾生

根室市の太平洋に面した落石地区を車で走る。強い風が吹きつけ、風力発電の風車が勢いよく回っている。そこに巨大な島が目の前に現れる。ユルリ島。根室半島から2.6キロの沖合に浮かぶ周囲約8キロの島だ。エトピリカなど希少な鳥が多く生息し、北海道の天然記念物に指定されているため、原則、立ち入りは禁止されている。海抜40メートルを超える断崖の上には、野生化した馬が生息していることでも知られる。颶風の王は、この島をモデルとした「花島」へと向かって、話が進んでいく。

胃の腑が突然の来訪に軽い痛みを伴って拡張し、肉を受け入れる。消化し吸収しミネとその腹に宿る者に滋養を届けようと本来の働きを始める。半ば休眠していた全身の細胞が、覚醒を始めた。

明治の東北。庄屋の娘ミネは小作の吉治と許されぬ仲となり、子どもを宿したまま駆け落ちをする。吉治は追っ手に殺されるが、ミネは吉治が大事に育てていた馬・アオに乗って逃げる。その最中、雪崩に遭い、アオと一緒に雪洞に閉じ込められてしまう。餓死寸前の状況の中、腹の子どものためにミネは衰弱していくアオを小刀で切り、肉を食べる。息絶えたアオを食べ続け、一ヶ月後にミネは奇跡的に発見される。その後に生まれたのが捨造だった。

花島のモデル・ユルリ島

捨造は18歳の時、開拓民として、北海道に渡る。自らの出生を知ったのは、その時、母のミネが渡してくれた手紙からだった。捨造は、アオの血を引く馬を購入し、一緒に北海道の地を踏むのだった。

やがて祖父は大きな溜息をついた。消え入りそうな最後は、嗚咽のようにも聞こえた。
「及ばれねえ。及ばれねえモンなんだ。もう、だめだ・・・・」
言葉からは軋むような痛みが漏れていた。

昭和、戦後の根室。年老いた捨造は根室で、良質な馬を生産する農家となっていた。孫の和子はまだ小学生ながら、捨造の後継者へと育っていった。
そんな幸せな時間は、“及ばぬ”自然によって無慈悲に壊された。普段は穏やかできれいに見える風景も、天気ひとつで豹変する。和子が大事に育てていた馬たちは、花島に預けられていた。馬は高台にある干場までコンブを運ぶ貴重な動力だったのだ。しかし、台風による崖崩れで道路が埋まり、高台にいた馬たちは、下りられなくなってしまった。捨造一家は、十勝で農業を始めることになり、馬との縁も一旦、ここで切れる。

「馬ぁ、あれ、まだおるべか」
「馬? おばあちゃん、馬ってなんのこと?」
「島のさ。島の、あれは、あれは・・・・」

平成の帯広。倒れた和子が大学生の孫のひかりに発した言葉だった。ひかりは和子から島に取り残された馬がいることを聞いていた。ネットで検索すると、花島には1頭の馬がまだ生存していることがわかった。そして、自分が通う大学の馬の研究会が、花島で調査を任されていることを知り、同行を願い出る。最後の一頭を島から空輸する形で救い出す方法を模索したかったのだ。

ひかりはかつて祖母が言っていた言葉を思い出す。人の意志がままならぬ自然をオヨバヌと言うと。まだ幼い頃のひかりは神妙にそれを聞いていたものだが、今、それを微笑んで否定できる。
「なんも。及んでいるよ」

「及ばぬ」という言葉は捨造から和子に伝えられた北海道に生きる者の定めであった。
しかし、ひかりは最後の1頭と出会い、その考えを改める。馬の目は静かに主張していた。「島に残されて悲しんでいる訳ではない」「生き続けることによって、自らここにいることを選択している」と。颶風とは強烈な風のこと。この1頭は、打ち付けるような風の中、花島の王様として君臨しているのだった。
馬のアオを食べて生き延びたミネがいたから、5世代後の平成のひかりがいる。そして、食べられたアオの血をひいた花島の最後の1頭も、過酷な自然の中で生き延びている。人も馬も“及ばぬ”環境の中を懸命に“及んで”きたのだった。両者の命の輝きはどちらも眩しい。

根室で飼育されている馬


河﨑秋子かわさき・あきこ

1979年別海町出身。大学卒業後、ニュージーランドでめん羊飼育技術を学ぶ。羊飼いをしながら、執筆活動を続ける。デビュー作の「颶風の王」は三浦綾子文学賞を受賞。
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