小説家の筆が描いたまち。書かれた時代と現在。土地の風土と作家の視座。
「名作」の舞台は、その地を歩く者の眼前に何かを立ちのぼらせるのだろうか。
*この連載は、作家の合田一道氏が主宰するノンフィクション作家養成教室「一道塾」(道新文化センター)が担当しています。
第28回

神(カムイ)の涙(馳星周)

あらすじ

弟子屈町のアイヌの木彫り作家・平野敬蔵と中学3年の孫・悠の家に尾崎雅比古が「弟子にして下さい」と訪れた。初めは煙たがられていたが、次第に2人と心を通わせていく。しかし、雅比古は犯罪者で逃亡中の身だった。アイヌに誇りを持つ敬蔵、アイヌから逃げたい悠、自分のルーツを見つけたい雅比古。3人それぞれが自分を模索していく。

アイヌとして生きる

坂野 秀久/一道塾塾生

日本最大のカルデラ湖・屈斜路湖。美幌峠からの眺望は絶景という言葉以外に浮かばない。湖岸は道東を代表する古くからのアイヌコタンであり、厳かな雰囲気が漂う。その湖岸の温泉街で知られる弟子屈町・川湯に敬蔵と悠は住んでいた。敬蔵の家を訪れ、作品を見た雅比古は自分のルーツに近づいたことを悟る。

「間違いない・・・・」
雅比古は羆と狼の像を交互に見ながら呟いた。身体の震えが止まらない。目頭が熱い。
「母さん・・・・・・」
平野敬蔵の彫り上げた作品を前にして、雅比古は泣いた。

雅比古は宮城県気仙沼市の出身。東京で会社勤めをしていた。一人暮らしの母は大震災による津波の後、仮設住宅内で病気のため死亡したが、かつての家では、敬蔵の作った羆の木彫り像を大事にしていた。なぜ母が敬蔵の作品を持っていたのか。その謎を探るために、雅比古は敬蔵を訪れた。
川湯でわかったこと。それは母の母、つまり雅比古の祖母が敬蔵の妹であったことだ。敬蔵の酒癖の悪さから家を飛び出したが、アイヌの精神は娘に伝えていた。つまり、雅比古自身がアイヌの血をひく者であったことがわかったのだ。

「おまえにはわからんだろう。アイヌの血が嫌でたまらんみたいだが、学校でからかわれるぐらいのことしか知らんくせに、そんだけのことですぐしょぼくれる。おれたちは級友だけじゃなく、和人全員からいじめられ、虐げられ、搾取されてきた。死んだアイヌも大勢いる」

悠に対して敬蔵が激しく言った。悠は札幌に住んでいたが、両親を交通事故で同時に失い、会ったこともない祖父の敬蔵に預けられた。そこで初めて自分自身がアイヌであることを知った。悠の母も敬蔵に嫌気がさし、川湯を出たのであった。川湯に来た悠に待っていたのは学校でのいじめだった。中学卒業後は他のまちの高校へ行き、いずれは東京で暮らそうと考えていた。
敬蔵はといえば、アイヌとしての誇りを持ちすぎるが故に、まわりと衝突を起こしてばかりいる。「もともとはアイヌの土地だ」として、私有地に入って、彫刻に使う樹木を勝手に伐採し、警察沙汰にまでなってしまう。
悠は川湯を離れるまでの間に、ネットで知った摩周湖の滝霧を一度、見ておきたかった。その見事な光景を見た時、悠の気持ちに変化が生じる。

そうか。
大昔の人たちは、だから、素直に神様を信じたんだ。霧と湖と太陽とが織りなす美しさは神様でなければ作り出すことはできない。だから、神様はいる。

滝霧とは釧路湿原の霧が摩周湖の外輪山からゆっくりと湖面に向かっていくもので、「霧の摩周湖」とはいえ、滅多に見ることができない。自然ガイドの仕事に就き、川湯に住み始めた雅比古が早朝、何度も摩周湖まで車を走らせてくれたおかげで悠はその瞬間に立ち会えた。カムイ(神)にしか作れない光景を見て、悠はアイヌの精神に少し近づいた。

雅比古が犯した罪とは。大震災による原発事故の責任を取らせようと、仲間の男2人と共に、電力会社の元社長を拉致し、被災者におわびをする映像をSNSで発信しようとしたのだ。ところが、拉致の最中に仲間の1人が元社長を殴ったところ、死亡してしまった。敬蔵からアイヌの心を学んでいるうちに、雅比古は次のように事件を振り返る。

だれのせいでもない。原発事故による未曾有の災いは日本人の責任なのだ。人類の責任なのだ。雅比古の責任であり、母の責任なのだ。
和人の世界しか知らない時は、それがわからなかった。アイヌの教えに接して、自分の責任に真正面から向き合うことができるようになった。

アイヌは古来、自然は神様たちの棲むところであり、神様への感謝の気持ちを忘れてはいけないことを知っていた。原発事故でも誰かに責任を取らせるのではなく、犠牲者に思いを馳せ、事故を我々自身の過ちとして、神様に詫びるのが、アイヌの考えだったのだ。

そんな時、元社長を死亡させた男が、雅比古を頼ろうと、川湯に来てしまった。警察の捜査が迫る中、男は悠を人質にとり、屈斜路湖の北側にある藻琴山に入る。山中で、悠は男を説得するが、出てきた言葉は嫌っていたアイヌの精神だった。 

「アイヌのお爺ちゃんがよく言うんです。人の罪を罰するのは神様の仕事。人にできるのはゆるすことだけだって」

アイヌがアイヌとして生きていけない。本書のタイトルが「神(カムイ)の涙」となったのは、「そんな状況を神様が嘆いているから」と筆者は想像する。その一方で、雅比古と悠がアイヌとして目覚めていく。そこに希望の光がある。

美幌峠からの屈斜路湖


馳星周 (はせ・せいしゅう)

1965年 浦河町出身。編集者、フリーライターを経て、1996年、『不夜城』で小説家デビュー。同作品で吉川英治文学新人賞、日本冒険小説協会大賞を受賞する。ノワール(暗黒)小説の第一人者。近年はノワール小説だけに留まらず、さまざまなジャンルの作品を執筆、高い評価を得る。
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