北海道みやげの200年~その1

アイヌ工芸の土産品店やアイヌ料理店などが並ぶ阿寒湖アイヌコタン。その入り口にある阿寒湖アイヌシアター「イコ

観光はいつも、異文化の境界域に生まれる。だから北海道の観光史は、北海道が異文化の地としてリアルに意識された時代からはじまったといえるだろう。そしてお土産は、土地の森羅万象の精粋を象(かたど)ろうとするモノづくりだ。北海道の観光とお土産のあゆみを、4回シリーズで俯瞰してみよう。
谷口雅春-text 伊田行孝-photo

蝦夷地名物から北海道名物へ

蝦夷地のことが江戸で次第に知られるようになったのは、ロシアの南下を危惧した幕府が、この大きな島を松前藩から取り上げて直轄した時期(1799〜1821)からだ。幕府は大規模な調査団を送り、近藤重蔵らが千島のクナシリやエトロフにまで足をのばしている。南部藩や津軽藩などには蝦夷地警衛の命が下され、道路の開削や駅逓の設置もはじめられた。成果はあげられなかったが、八王子千人同心が勇払(苫小牧)や道東の白糠に入植したのもこの時代だ。
蝦夷地に派遣されたある幕吏は、この地で手にしたタバコ入れや煙管(キセル)差しなどの美しい模様から、アイヌ民族が木工細工の巧者であることを記している(『蝦夷みやげ』幕吏某 享和元年・1801年)。

時代が半世紀くだると、ペリー来航から開国にいたる難局に、幕府は再び蝦夷地を直轄する(1855〜1868年)。祖父が松前奉行をつとめ、自身は箱館奉行や万延元年の遣米使節となった村垣範正(1813〜1880年)は膨大な日記(『村垣淡路守公務日記』)を残したが、そこには蝦夷地巡検(1854年)のようすも記録されている。この調査をもとに村垣は蝦夷地を再直轄すべきだと建言するのだが、日記の随所に各地の名物が登場して興味深い。例えばヲタルナイ(小樽)ではシャコタン竹を150本ほど伐りだして松前経由ですぐ江戸に送った、とある。茶褐色の斑点があって煙管や筆の材料に珍重された竹だ。ほかにイシカリ(石狩)では3千石もサケが揚がる(およそ18万匹)とか、道東のノッケ(野付)のサケは一級品で幕府に献上されている、などとある。いずれも松前藩が道内各地に開いていた「場所」(和人とアイヌとの交易地、幕領時代は「会所」)の営みのようすで、サケに加えて昆布もしばしば登場する。すべて蝦夷地ならではの特産品だ。

この第二次幕領期には仙台、秋田、南部、津軽、会津、庄内の各藩に警衛が命じられた。箱館が蝦夷地の政治経済の中心にシフトして、コトニやシノロ(現・札幌市)など石狩エリアへの入植がはじまるのもこのころ。『新撰北海道史』(1937年)によれば、安政の末(1860年)の蝦夷地の定住人口は、和人が松前や箱館を中心に8万6千人あまり。有史以前から先住のアイヌ民族が全道で約1万5千人となっている。このほかに春のニシンや秋のサケ漁には本州から出稼ぎ人がやってきたが、定住人口でみれば北海道は、わずか150年あまりで10万人から538万人(2015年)へと急膨張したことになる。
北海道の近代とは、和人から見ればほとんど手つかずであったような大自然めがけて、津軽海峡の南からひっきりなしに移民団が押し寄せる大プロジェクトのことだった。

北海道はこのように、日本列島の中のどこにも似ていない成り立ちをしている。近代化で観光が産業として立ち上がるや、豊かで多様な北方の自然とこのユニークな歴史風土が多くのツーリストを引きつけてきたが、商品としてのお土産の源流はどのあたりにあるだろう。
そのひとつは、江戸期にさかのぼる江差町の「五勝手屋羊羹」(五勝手屋本舗)だろう。材料は、良質なヒノキを求めて渡ってきた南部藩の杣人(そまびと)集団五勝手組が栽培に成功した小豆に由来する。本格的な創業は1870(明治3)年だという。

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明治期の五勝手屋本舗の店構え
絵図資料提供/五勝手屋本舗(北海道桧山郡江差町)

時代を一気に20世紀に進めよう。
第一次世界大戦の終戦(1918年)から第二次世界大戦勃発(1939年)までのあいだ。いわゆる戦間期には、アメリカの中産階級がヨーロッパへ海外旅行を楽しむようになり、平和の日々が国際的な旅行ブーム起こした。客船の大型化や鉄道のさらなる発達、そしてラジオや映画といった新しい消費文化の潮流が生まれ、ハワイやカリブ海のリゾート観光が誕生したのもこのころだ。
欧米の観光ブームの波は日本にも押し寄せる。外貨獲得をめざして海外からツーリストを誘致しようと、鉄道省に国際観光局が設けられたのが1930(昭和5)年。翌年には国立公園法制定。34(昭和9)年には道都に、西洋人がゆったり宿泊できる北海道で初の本格的ホテル、札幌グランドホテルが開業した。そしてこの年、阿寒と大雪山のふたつのエリアが北海道で最初に国立公園の指定を受けている。さらに同年旭川に、翌年は函館、そして36(昭和11)年には札幌に観光協会が発足した。観光が地域の有力な産業として位置づけられていく時代だ。

トラピスト修道院(北斗市)

観光スポットとしても人気の高いトラピスト修道院(北海道北斗市)。1896(明治29)年創設の、日本最初のカトリック男子修道院

戦間期の代表的な北海道みやげといえば、すでに明治30年代から函館の人々に知られ、大正期に広く人気を博した「トラピストバター」があげられるだろう。上磯町(現・北斗市)のトラピスト修道院がつくるバターだ。ちなみに旭川の「旭豆」(片山商店、現在は共成製菓)や大沼(七飯町)の「大沼だんご」(沼の家)も誕生は明治30年代にさかのぼり、戦間期にはすでに人気だった郷土菓子だ。
1930(昭和5)年にはトラピスト修道院から「トラピストクッキー」が発売された。そしてこの年、札幌の千秋庵で洋風せんべい「山親爺」が誕生。洞爺湖温泉では「わかさいも」(若狭屋、現・わかさいも本舗)が発売され、32 年には炭鉱まち赤平で「塊炭飴」(石川商店)が登場した。これらはみな、現在もおなじみのロングセラーだ。
また北見地方がハッカの世界的産地となったこの時代。野付牛町(現・北見市)では、現在も人気のハッカ菓子の源流が生まれていた。

今も土産として、自家用として人気の「山親爺」と「わかさいも」

北海道みやげの大ロングセラー、「わかさいも」(わかさいも本舗)と「山親爺」(千秋庵製菓)。道産子のおやつの定番でもある

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