北海道の気候風土をいかして、おいしいものを生産したり、
開拓期からの技をいまに伝えたり、世界に誇れるものを生み出したり、
道内各地を放浪して出会った名人たちに、その極意や生き方を聞いてみた。
【シート・帆布バッグ製造】

「使う人の声から生まれたカタチです」

vol.11 
村本テント・村本 剛さん
村本テントといえば、いまでは若者に人気の帆布バッグのイメージが強い。
そのルーツは、1911(明治44)年に創業した馬具店。
運搬手段が馬から車へと移り変わる中で、トラックや船のシートを手掛けるようになり、
村本テントを名乗るようになった。20年ほど前から、先代が帆布バッグを作るようになり、
現在は4代目・村本剛(ごう)さんが、その職人魂を受け継いでいる。
矢島あづさ-text 伊田行孝-photo

馬が労力だった100年以上前から続く手仕事

村本テントを訪れる前に街中を散策して気づいたことがある。いまでこそシャッターを下ろす店が目立つけれど、かつては飲食店や酒屋が多く、商売繁盛のなごりが見え隠れする。岩内町郷土館に立ち寄ると、興味深い歴史が目白押しだ。幕末の1864年には茅沼炭山が開坑され、明治時代はニシン漁の全盛期。1905(明治38)年には、函館に次ぐ道内で2番目の馬車鉄道が開通し、翌年には道内初の水力発電による電灯がついた。その頃、町内に歯科や眼科、獣医を含めると15人の医師、5人の弁護士が存在したこと。地元の新聞社3社、札幌や小樽、東京の新聞出張所5社あったことからも、想像以上の繁栄ぶりがうかがえる。

町内を1周し、小澤駅までの18㎞を結んだ馬車鉄道。函樽鉄道(現・函館本線)に乗り継ぎ小樽・札幌方面とつながる重要な交通手段だった。(写真提供:岩内町郷土館)


1956(昭和31)年の『岩内町市街案内圖』に「村本商店」を見つけた。
さらに古い1953(昭和28)年の地図には「村本靴店」(写真中央部)と記されていた。(岩内町郷土館所蔵)

初代の村本甚太郎さんが創業した頃は、炭鉱、漁業、農業、交通、運搬など、馬の労力が頼りだった時代。当初は馬の鞍作りから始まり、2代目は、靴職人として函館で修業した弟と一緒に、馬具と靴で店を切り盛りしていたという。やがて運搬がトラックの時代になると、荷台にかけるシートをはじめ、海水を利用してイカ釣り船を止める潮帆(しょっぽ)という道具も手掛けるようになる。帆布でバッグを作り始めた父の後を継いだ剛さんは「僕が子どもの頃は、店では長靴や軍手、胴綱など、ホームセンターにあるような商品を売り、オーダー品として運送業のシートなどを作っていました」と、時代と共に変化しながら続いている家業の歴史を振り返る。

農耕用の馬具を作っていた時代の道具。板状のところに座り、突起部分に革を挟み、1針ずつ両側から糸をクロスさせて縫う手作業だった

祖父の時代から岩内営林署の注文で、トラック用シートと同じ防水性の高い生地で、山菜リュックや山菜前袋を作り始めた。仕事にゆとりのある冬に作り、4~6月に限定販売

村本テントの原点ともいえる、お客様の声から生まれた「重成バッグ」初期の試作品

自分の手で生み出す楽しさに目覚めた

父の憲次さんがバッグを作るきっかけは、岩内出身の高校教師、重成先生との出会いだ。陸上大会で使うシートの発注を受ける際、愛用のショルダーバッグを見せられ「これと同じものを帆布で作れないか」と相談された。これなら出来るかもしれないと、ファスナーやポケットの位置を先生の使い勝手に合わせながら完成させたのが、現在も定番商品になっている「重成バッグ」。先生は遠征先にバッグを持ち歩き、その使いやすさや丈夫な作りを広めてくれた。

札幌で電気工事関係の仕事をしていた剛さんが、後を継いだのは30歳になった9年前。店を継ぐ気も、前職に不満があったわけでもない。たまたま帰省したとき、町内のイベント「手づくり市」を手伝ううちに、自分でモノを生み出す楽しさに目覚めてしまった。「祖父の代から山菜リュックのノウハウはありますが、鞄の製造を一から学んだ経験はありません。ただ、ミシンを使う作業であれば、ファスナーの交換や学生鞄の修理なども引き受けてきたので、その一つ一つに鍛えられてきました。どんな要望にも応えられるように、常に技術力をアップさせるしかない」と、職人としての姿勢はとても謙虚だ。

「テント屋が作るバッグですから、最も大切なのは丈夫なこと。使い込んで生地が擦れたとしても、糸がほつれる製品にはしたくない」

シートの場合、糸は太い5番手。バッグには見た目も考えて、8番手と少しだけ細くする

山菜前袋を胸当てエプロン型にしたり、通学用バッグの肩紐の付け根を強化したり、作業場には少しずつ改良を重ねた試作品や注文品が並ぶ

地域の魅力を発信できる店でありたい

村本テントの定番商品は、岩内の店頭に絶えず並んでいる。しかし、全国どこからでもHPで商品を確認しながら、「ショルダーをもう少し長く」とか「こんな色合いで」など、自分の好みに合わせてオーダーする人が多い。その場合は、一つ一つ手仕事なので1カ月に10件ほどしか受けられず、いま注文しても完成まで1年待ちだ。トラックのシートや農家で使われる除雪車のビニール製窓の交換など、緊急性が高い仕事が優先されることも理由の一つ。それでも、バッグの注文が途切れることはない。

村本テントの看板商品「重成バッグ」は、少しずつ改良を重ねていまも人気だ

昔ながらの道具袋、ベーシックなトートバッグ、円柱型が人気のバケツバッグ、子ども用のカラフルなバッグなど、魅力あふれる帆布バッグが並ぶ店内

「本来は店頭で実物を見ながら注文していただくのがベスト。実際に肩に下げてみたときのフィット感や生地の質感は、メールのやり取りだけでは伝わりにくいから」と剛さん。「それに、岩内にもっと来てほしい。札幌から2時間ほど、余市まで高速道路が延びたら、もっと近くなるはず。海や山にも恵まれているし、小樽や函館に負けない寿司屋も多い。一度外に出た人間だから実感できるこのまちの魅力を伝えたい」と、地域の観光スポットをつなげるような活動やツアーにも惜しみなく協力している。

北海道発祥のゲームソフト、ハドソン製品を世界的な事業開発に広げた経験を持つ米国人ジョン・グライナー氏が、自然環境や伝統文化を残す岩内町を気に入り、海外からの観光客が集中するニセコ町の奥座敷のような位置づけで、通年型のリゾート開発の計画を進めているという。「良港に恵まれた岩内は商業が盛んで、かつては旅館や料亭、造り酒屋がいくつもあったほど。画家や俳人などの文化人を育て、茶道や華道の師匠も多い土地柄。古くから住んでいる人は、市街の8割を焼失した大火を経験し、一から基盤をつくり上げていくパワーもある」と、熱く地元を語る剛さん。いつのまにか、帆布バッグの職人が岩内の観光大使に見えてきた。

昔懐かしい足踏みミシン。いまはその役目を終え、店の歴史を物語るオブジェとして活躍している



村本テント 
北海道岩内郡岩内町万代13-1
営業時間/8:30~19:00 ※日曜日は18:00まで
定休日/夏期不定休 冬期(11~3月)水曜日
TEL:0135-62-0503 
Webサイト

(写真提供:岩内町郷土館)

岩内町郷土館
北海道岩内郡岩内町字清住5-3
開館時間/9:00~17:00 
定休日/月曜日(祝日の場合は翌日)※12~3月休館
TEL:0135-62-8020 
Webサイト

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