プロローグ

屯田兵の父と北海道開拓の礎

「北海道」の名付け親として松浦武四郎は広く知られていますが、もう一人、北海道開拓の基盤を作った武四郎がいました。「屯田兵の父」と呼ばれる永山武四郎です。永山武四郎がいなければ、この大地の姿かたちは今と大きく違ったものになっていたかもしれません。

2018/04/25

永山武四郎とは

「北海道」に生きた永山武四郎の生涯

1837年、鹿児島に生まれ、34歳で初めて北海道に渡り、第2代北海道庁長官にも着任した永山武四郎。「屯田兵育ての父」と呼ばれた彼が明治の北海道でどんな一生を送ったのか。その67年の生涯を、かけあしでたどってみたい。

2018/04/25

薩摩と北海道、そして屯田兵

明治初め、北海道の開拓に深くかかわったのは薩摩閥だった。永山武四郎もまた薩摩の人だった。屯田兵の大隊を率いて薩摩の士族と戦い、敬愛する西郷隆盛を失った武四郎は、その二十数年後、東京で亡くなる。彼の遺体は郷里への南下ではなく、守り抜くと決めた地へと北上した。

2018/05/09

永山武四郎と旭川

永山武四郎と、“旭川人”気質

近代都市・旭川誕生のきっかけをつくった、岩村通俊と永山武四郎。とくに永山は、旭川のまちの精神性と深く関わる役割を果たしていく。近現代史がご専門の、旭川市博物館 岡本達哉学芸員にお話を伺いながら、旭川のまちと、そこに生きる“旭川人”の気質について考えてみた。

2018/05/23

「永山」の地名に宿る、人々の誇り~武四郎の足跡をたどって旭川を歩く

旭川に永山武四郎の名が刻まれた地名がある。上川地方で最初に拓かれた永山地区。武四郎ゆかりの史料や逸話は今も残っているのだろうか。いまは旭川市に合併されている旧永山村を歩いてみた。

2018/06/06

旧永山武四郎邸

旧永山邸は、古くて新しい!

永山武四郎がプライベートを過ごした私邸「旧永山武四郎邸」が、札幌に現存することをご存じですか。北海道開拓史において、特別で、貴重なこの建物が、6月23日(土)にリニューアルオープンします。ひと足先に見学したところ、そこは、驚きに満ちた空間でした。

2018/06/20

「永山武四郎邸」で遊ぶ、学ぶ、参加する

2018年6月23日、新たな観光文化スポットとしてリニューアルオープンした「旧永山武四郎邸及び旧三菱鉱業寮」。カフェや多目的スペースができ、より多くの人が楽しめるようになった。ただ見学するだけでなく、少し“滞在”することで見えてくる、歴史的建造物の魅力とは。

2018/06/27

サイドストーリー

戦う相手は水だった屯田兵村

永山武四郎は「屯田兵の父」ともいわれるが、「屯田」という地名を冠した地域が札幌にある。札幌市北区屯田。この名は札幌で最後に作られた屯田兵村、篠路兵村に由来するものだ。石狩川水系の最下流部近くに位置する屯田地区の歴史から、札幌のまちづくりの新たな一面が見えてくる。

2018/06/13

未来を託した米づくり

商業施設の進出や増築、さらに公営住宅の建設などで近年めざましく活気づいているのが、札幌市北区の屯田地区だ。源流である篠路兵村の開村からちょうど130年。水害をはじめとした苦難の重なりからこの地域を救ったのは、起死回生を賭けた米づくりだった。

2018/06/20

大地と防風林から見る屯田

大地の成り立ちから見ると屯田はどんなまちだろう。地形図からは、フラットに広がる街並みを囲む防風林の連なりと、北側にある砂丘列が見える。札幌で最後に作られたこの屯田兵村を大きく捉えるには、防風林と紅葉山砂丘が最適な案内役になる。(画像提供:©Google,ZENRIN)

2018/06/27

まちを動かす、平成の屯田兵たち

大型商業施設や飲食店の集積が進み、近年大きな変化を見せている屯田地区。新しい住民にとっては、篠路兵村の歴史物語は残念ながら縁が遠い。米づくりの里から新興住宅地へと歩んできた屯田地区の歴史をなぞりながら、未来を展望してみよう。

2018/07/04

特集関連:もう一人の武四郎じゃない武四郎!?

松浦武四郎のランチと特別展

特集の余談。もう一人の武四郎じゃない武四郎の特別展「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎」が北海道博物館で始まります。そして、この特別展とコラボした特別ランチ「北海道の名付け親・松浦武四郎ランチ~大地の味」がセンチュリーロイヤルホテルの「日本料理 北乃路」で楽しめます。

2018/05/30

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