(写真提供:江差観光コンベンション協会)

 

プロローグ

まちの文化と、まちの日常と。

道南の江差町。江戸期には「江差の五月は江戸にもない」と謳われ、北前船が往来し多くの物資と文化と富と、そして人を渡島半島の一隅にもたらしました。往時の繁栄の息づかいは今も江差人の日々の中に流れています。そんな「江差の五月」を探して、まちの人々にお話を聞いてきました。

2018/07/25

江差の海と生きる漁師さんのお話

江差のシンボル・鴎島は、天然の良港としてニシン漁や北前船交易の舞台となり、まちの歴史はここから始まったといわれている。島の入り口、赤い鳥居のすぐ向かいに、島を守るように建つ家がある。江差の海に生きる漁師の三代目、青坂貴章(あおさか・たかゆき)さんを訪ねた。

2018/07/25

江差人はなぜ、これほど血が騒ぐのか

江差人にとって、正月や盆休みより待ち遠しい日がある。375年の歴史を誇る「姥神大神宮渡御祭」が行われる8月9~11日。この3日間、人口8000人の町におよそ5万人が集まり、神輿を担ぎ、13台の山車を引き、町中を練り歩く。3人の江差人の渡御祭ものがたりに耳を傾けた。

2018/08/01

まちが語りだす、江差の現在(いま)・昔

江差の観光地といえば「いにしえ街道」を思い浮かべる人は多いだろう。しかし、ただ通りを歩くだけでは、江差の本当の魅力はなかなかわからない。そこに住む人々は、江差のまちをどんなふうに語り、魅力を伝えようとしているのだろう。

2018/08/08

ふるさとの味をつなぐ人びと

江差のまちで、郷土料理を作る人たちに会った。皆さんの笑顔と一緒にいただく伝統の味は、私たちをすっぽり優しく包みこむ。かつて、食物が少なくなる冬を越すため野菜や魚貝を保存し、おいしく食べる生活の知恵。そのたくましく豊かな知恵は、今も私たちを惹きつける。

2018/08/15

「魂の唄」に魅せられて

初めて江差追分を「生」で聴いたとき、からだがゾクッと震えた。空気を伝って届く声の質感に圧倒されたからだ。言葉とは違う回路を通って、心の中心へまっすぐに入ってくる、哀調を帯びた独特の唄。江差追分はなぜ、こうも人を魅了するのか。追分を極める師匠に教えを請うた。

2018/08/22

ヒバの森から、100年後のまちへ

檜山(ひやま)という地域の名は、ヒバと呼ばれるヒノキアスナロが由来とされる。その名のとおり、江差もかつてヒバが生い茂る地で、ヒバの山は地域の貴重な財産だった。時代とともにその多くが失われてしまった今、100年後を見据え、江差の山に木を植え続ける人がいる。

2018/08/29

江差で立ち寄りたいスポット

北海道では特異な歴史や文化が江差の魅力です。市街地は決して大きいとは言えませんが、歩くにはほどよいサイズ。海岸沿いの国道と並行する「いにしえ街道」にある、おすすめの立ち寄りスポットを3つご紹介します。

2018/10/24

サイドストーリー

ヒノキアスナロから檜山が見える

江差町が位置する「檜山(ひやま)」という広域地名は、古来ヒノキアスナロを伐採してきた一帯という歴史に由来する。北海道の和人の歴史の源流には、ニシンに加えて山仕事があった。檜山からはじめて、北海道林業の流れを追ってみよう。

2018/09/05

飛騨屋と阿部屋から見る蝦夷の森

檜山管内の江差からはじめた蝦夷地の林業をめぐる旅だが、2回目は石狩に飛んでみよう。18世紀半ばの石狩川河口には、大きな木場があったという。その痕跡をさがしに歩いてみた。

2018/09/19

蝦夷地の森に分け入った和人たち

ニシンと合わせて木材は、近世の蝦夷地の重要な天然資源だった。「北海道命名150年」のスタートを数える百年以上前。18世紀後半の道央圏では、エゾマツなどの材を求める和人たちが川伝いに山深くに入っていったことが知られている。札幌の豊平川流域の森をめぐる話をしよう。

2018/10/03

飛騨屋から東アジアが見える

近世の蝦夷地の林業で異彩を放つ人物が、飛騨出身の材木商、飛騨屋久兵衛だ。飛騨から江戸、そして下北、蝦夷地へと舞台を移していった飛騨屋の歩みからは、日本の近代の幕開けにつながっていく、北方林業の最前線が見えてくる。

2018/10/10

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